新撰組ゆかりの地
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安土城跡への遠足でウォーミングアップしたわたしたち夫婦は、そのあと新聞で募集していた・・・ 『甲賀武士ゆかりの城跡と白洲正子“隠れ里”の舞台を巡る』という歴史ウォーキングに参加し歩いてきました~っ、12Km。
甲賀は甲賀流忍者の発祥の地ですから、集合駅の窓ガラスやマンホール、飛び出し坊やも忍者です。
中世、甲賀市一帯には200超えの城があって、それは現存する大阪城や姫路城などとは違う、もっと規模の小さい土塁で囲まれた居館だったそうで、城跡はいたるところにありました。
織田信長にキリスト教を紹介したとされるこの地出身の武将、和田惟政のお墓
安土桃山時代の建築様式が美しい油日神社
この地には強大な武士勢力はなく、『甲賀郡中惣』という並列的、民主的な組織の武士たちが共存していたそうです。彼らが寄進した本殿は桧皮葺の重要文化財。“油の神さま”を祀っているので油に関係する企業からの寄進も油です。
学芸員の講話を熱心に聴く参加者rさん。
境内の歴史民族資料館には、白洲次郎の妻であり随筆家だった白洲正子が心奪われたという『福太夫面』が展示されています。
市教委HPから
リンゴ園を横目に見て歩きます。
織田信長の天下統一に貢献した四天王のひとり、滝川一益の居城跡に咲くりんどう
33年に一度しか開帳されない国宝十一面観音像も拝ませていただいた櫟野寺
市教委HPから
さて、この日の最後は無農薬栽培の大根と柿の収穫体験があり、最後にお土産として新米がひとり1升いただけました。わたしたちは初めての参加でしたのでずっと同じペースで後ろの方を歩いていましたが、ここに来て急にみなさんの歩くペースが早くなったなあ、と思っていましたら・・・
大根抜きは先着順だったんですねぇ。
手の届くところの柿は先着隊に取り尽くされ、高いところを恨めしそうに眺める参加者、実は柿の木の後ろの土手が見学対象の城跡なのですが・・・。
この日の収穫物、お米は10日分はあります、ありがたい。
観音さまの拝観料と資料館の入館料+保険で合計800円しか払ってないのに、これだけいただけるとはかなりのお得感がありました。またこういう催しを探して参加しよう、そして終盤はハイペースで歩こうと肝に銘じたわたしたちでした。
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1576年。織田信長は、その天下統一事業を象徴するかのごとき居城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意する。設計及び現場の総棟梁に、数十年に渡って才気を評価してきた熱田の宮大工・岡部又右衛門が任命された。
「三年で建てろ!」
信長から直々の厳命を受けた又右衛門は、妻や娘、門下の大工たちに支えられながら徐々に築城を進めていく。巨大な城を支えるための主柱(大通し柱)には、これまでにない檜の巨木が必要だと判断した又右衛門は、理想の材木を求め敵方・武田領土、木曽上松へと分け入っていくのだった。
映画『火天の城』は、城の建築、中心となるのは宮大工という地味な素材ながら信長と又右衛門の絡み、様々な困難、家族との葛藤・・・などを描き、地元びいきも手伝ってなかなかおもしろく見終えました。
『探偵ナイトスクープ』9月11日の顧問は滋賀県知事、映画の宣伝に一役買うというチカラの入れようです。
そこで、安土城です。 滋賀県のほぼ中間、琵琶湖の東岸に張り出す安土山の山頂にその城はありました。 当時の建築様式とはかけ離れた八角形の伽藍とその上に配置された大きな天守閣は、その後の日本の築城に強い影響を与えたとされます。現在は琵琶湖の埋め立て工事で安土山は湖岸に接してはいませんが、当時ここは上杉謙信への警戒のためと琵琶湖を船で渡り上洛するための地として重要かつ最適な土地だったのです。
わたくし、安土山へは過去に何度か登っていますが、改めて又右衛門の視線で眺めながら登りました。
びえ~っ、この石段、きつい・・・。
大手道を登り始めるとすぐ右手に前田利家邸跡、左手に羽柴秀吉邸跡、う~ん秀吉の邸の方がちょっと大きいかも、でも日当たりは利家の邸の方がよさ気であります。
森蘭丸邸跡、信長の甥である織田信澄と隣り合わせです、ちなみに信澄の妻は明智光秀の娘。
蘭丸は、ドラマや映画では眉目秀麗な少年として信長の寵愛を受けた小姓とのイメージが定着していますが、蘭丸の父親が若くして戦死したため、信長が父親代わりとなり可愛がっていたとの説もあるそうです。
信長廟、二の丸、本丸跡などを経て石段を登ること30分ほどで、やっと山頂の天守閣跡に辿り着きました。 案外狭いです。ここに大きな天守閣が建っていたのです。
鬨(とき)の声をあげるれいち、歴史好き。
お天気がいいので琵琶湖がよく見えました。
築城からわずか3年後、信長は家臣明智光秀の謀反により本能寺で自刀して果てます。そのすぐ後、安土城も火災のため焼失して現在に至っています。信長の自由奔放な生き方を象徴するかのような城は、かくもドラマチックに消えてなくなったのです。
本能寺の変に関しては・・・ 光秀の単独犯行説には異論が多く、備後へ追放された足利義昭による怨恨説、朝廷黒幕説、秀吉説、家康説・・・など、どれも興味深いものがあります。また信長自身の遺体が見つかっていないことから信長生存説もあるそうで、とってもわくわくする時代です。
紅葉には少し早い、湖国の秋の一日でした。
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長寿のお祝いとして喜寿・米寿は一般的ですが、傘寿となるとあまり聞きなれず、それは傘(かさ)の略字『
』が八十と読めるところから、数え年80歳のことだそうです。
実家の兄夫婦が『来月夫婦揃って80歳の誕生日を迎える実家の両親のお祝いを、親族で旅行を兼ねて行う』と提案、わたしたち夫婦も呼ばれて総勢10人で知多半島一泊二日の旅行に行ってきました。
お天気もよく、高速道路はやや渋滞していたものの途中なばなの里やIANX世界のタイル博物館などに立ち寄って、南知多の旅館には少々早めに着きました。
姪のダンナさんが釣竿を持ってきていて、旅館の目の前の海で魚釣り。小さいけど魚が釣れて大はしゃぎの母、以下モザイクばかりですみません。
さて、お風呂も済ませてメインの宴会。
孫たちからプレゼントをもらってうるうるの両親。
自分の都合のいいようにころころルールを変える兄は追い出されたカードゲーム。
そうそう!れいちの行くところごちそうあり。
ふぐは身より皮の方がおいしいですな。
さて・・・
宴会では父と母から挨拶があり、父の 「今まで大過なく過ごせたなかなか楽しい人生でした。今後はみんなに迷惑をかけないよう健康に気をつけて趣味を楽しみながらのんびり生きていきます」 の言葉に母はうんうんと頷きながら目頭を押さえており、自分の挨拶は 「みなさんに感謝・・・」 との言葉が聞き取れただけであとは言葉になりませんでした。
父の言葉の中、“みんなに迷惑をかけないように・・・”には普段強気の父らしくなくてちょっと胸が痛みました。両親には長生きして欲しいと思いますが、何とぞ健康で長生きをお願いしたい秋の一日でした。
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今回の函館滞在は2泊3日でしたが、諸般の事情で到着は1日目の夕方、出発は3日目の早朝となり、真ん中の1日だけが自由に使える、まさに弾丸トラベラー並みの日程でした。
夕暮れの函館駅に降り立ったわたしを迎えてくれたのは赤い路面電車、チンチンと鐘を鳴らしてがたんごとんと走っていました。
二日目、さあ気合い入れてLet's go
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まず、町を効率よく回るため朝一番にレンタカーを借りました。
まだ電気店が開いてない朝の早いうちに五稜郭タワーに上がり、新撰組の鬼の副長、土方歳三の最期の地の見学です。広い!広すぎてタワーの最上階からでも公園全部がカメラの画面におさまりません。
ドラマでは沖田総司はオトコマエが演じることが多いのですが、実際は小柄で出っ歯、ひょうきんな性格だったようで、これってどこか明石家さんまっぽくないか!?で、本当のオトコマエは土方歳三なのであります。
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花畑牧場のソフトクリームなど食べながらレンガ作りが美しいベイエリアを歩いて回りました。ここにもイカ釣り漁船が停泊しておりました。
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さあ、電気店が開店する10時です。新生活に必要な家電を揃えました。洗濯機や電子レンジ、炊飯器などは決算期のバーゲン商品で、テレビと冷蔵庫だけはちょこっと贅沢しやはりました。見知らぬ土地で知る辺のないひとり暮らし、テレビくらいいいのを選んでもよろしいでっしゃろ。
わたしがカードで支払いをしている間にマッサージ機でくつろぐ娘、おいおい!
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お昼です。一般に札幌は味噌ラーメン、函館は塩ラーメンがおいしいんだそうです。ということであねのおススメの『あじさい』で塩ラーメンをいただきました。麺はやや硬め、澄んだスープはあっさりした鶏がらで上品なコクとまろやかさがあります、和風です。
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さて、お腹もいっぱいになったわたしたちは次なるお買い物、家具を見に行きました。あねはひとり暮らしが本格化したら部屋の家具やファブリックは茶色系と決めていて、徐々に小物をためていたようです。ベッドもテーブルも希望どおりのものを揃え、カーテンとソファはオレンジっぽいのにしました。う~ん、なかなか落ち着いたいい感じ、あとは生活雑貨もひととおり、おままごとのように揃えてここでのお買い物は完了!!
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函館の中心街にはこじんまりとしたデパートがあり、おみやげはそこの地下で買いました。探していたROYCEのチョコレイトドリンクを発見!鮭とんばもたくさん入って1000円ほどであります。B男くんの好きな鯨のベーコンも高いけどしゃーない、買って帰ろうか。
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ところでこの日レンタカーは、営業所が閉まる午後8時までに返す契約でした。あねは函館山の夜景をぜひ見て欲しい、と言うか自分もまだ見てないので見に行きたいと言うもので、この時点で午後7時前でしたが、え~いっ行っちゃえ・・・ってことで函館山へ向かいました。
ロープウェイ乗り場は結構混雑していました。20人ほど乗れるロープウェイは5分間隔で運行されていて、山頂までは約3分。ちょっと肌寒い山頂の展望台から見る函館の町はキラキラと輝いていて、絵本で見る宝石箱のようでした。が、ここでゆっくりしている場合ではありません。早々に山を降りレンタカーのガソリンを満タンにしてギリギリ返却時間に間に合いました、ふぅ~・・・。
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ここからは歩いて晩ご飯に向かいました。この夜も海鮮三昧、決してお安いものではありませんでしたが、どれも新鮮で甘いのです。函館の人は毎日こんなおいしいものを食べているのか?とうらやましくなりました。
あ~あちこち行った、いろいろ食べた。
こうして翌朝わたしは帰途につきました。函館駅まで送ってくれたあねとは改札口で別れましたが、その後ろ姿をじっと見つめるわたしを一度も振り返らずに町へ戻るあねに「風邪をひかないように」とか「野菜も食べなさい」とか言いたいことがたくさんあったのに、胸が詰まって何も言えなかったことが心残りでした。
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その昔、東海道五十三次を京都から数えて2番目の宿場が滋賀県の草津でした。
京都からお江戸まで行くルートは東海道と中山道があり、それはこの草津の地で別れました。
太平洋側を通る街道を東海道(現在の国道1号線)と言い、海沿いの平坦な道でしたが何箇所も幅の広い川を渡らなくてはならず、足止めが多い難儀な道だったそうで『男道』と呼ばれました。 それに対し、琵琶湖の右岸を通り岐阜から木曾の山の中を通る道を中山道と言い、六十九次ありました。こちらは峠越えのある険しい道でしたが、東海道の五十三次に対し六十九もの宿場があるところから歩きやすい道とのことで『女道』と呼ばれたそうです。皇女和宮が降嫁する際も中山道を使ったあれこれは『和宮様御留』(有吉佐和子著)で興味深く描いてました。
昨日友人Bちゃんと中山道六十一番目(お江戸から数えて)の宿場町、醒ヶ井(さめがい)へ遠足に行ってきました。折りしも梅花藻(ばいかも)が見ごろとのことで団体さんもたくさん見えていました。梅花藻とは川の中の藻に咲くキンポウゲ科の花で、読んで字の如し梅の花のような水生植物です。
街道の中心を流れる川べりに咲くサルスベリ
白い梅花藻の上に落ちた赤いサルスベリの花
いにしえの旅人もこの光景を見て癒されたのでしょうか、それにしても川越えよりも峠越えを選ぶ女たちって、健脚だったのですねぇ・・・。
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レディース5人組で暑気払いのカラオケに行きました。
この日は採点付きにしましたのでみんな真剣に歌いました。韓国語の曲がちょこちょこ出てきます、うちらのカラオケ。
まず・・・
イタリア帰りのわたくしの『帰れソレントへ』で、はじまりはじまりぃ~
ラ行で思い切り舌を巻いて“ソルルェントゥオ~”って歌い、いただきました笑いと拍手!
ドラマ『ごめん愛してる』から“눈의꽃(雪の華)”を。 え~っ?過去15人も歌っていてわたし92点もとっているのに9位?みんなどんだけ上手なのさ?
オリジナル“눈의꽃(雪の華)”パク・ヒョシンは・・・こちら ただし本当のオリジナルは中島美嘉です。 ドラマ主役のソ・ジゾプが歌う““눈의꽃(雪の華)””は・・・こちら
では、こんな歌はだれも歌わないだろうと挑戦した、ドラマ『秘密』の挿入歌“あなただけの愛”を。 え~?歌っている人いるじゃない、しかも1位の人90点、わたし88点で2位、ふたり中2位って・・・。
オリジナルの“あなただけの愛”シン・スンフンは・・・こちら
青山テルマも出ますが、園まり、中尾ミエも大いにウケる楽しい夜でした。
わたしはまたリベンジしようと思っていましたが、意外とその機会は早くにやってきて、先日のあねの帰省中、お父さんの退職祝いの外食をしたあとカラオケに行きました。
しょっぱなはこの方の、例によってダンス付き熱い歌。 「ハナシには聞いてたけど、すごいな」とあね驚く。
さてわたくし、まずは夫婦のイタリア帰りを記念して『サンタルチア』を、またまたラ行で思い切り舌を巻いて歌いました。 「はいはい、けっこうでした」と拍手ぱらぱら。
続いてリベンジモードです。
よ~し、まずはドラマ『ファン・ジニ』から“貴方を想い”を。 9人歌っているのか・・・なんとしてもベスト3に入りたい、と意気込んで6位、全然だめじゃん。
オリジナルの“貴方を想い”チェ・ヘジンは・・・こちら
では、こないだのリベンジ“눈의꽃(雪の華)”を。 やった~!91.118点で2位だ、1位の人が91.676点だからあとちょっとだ。
カラオケの採点で点数を上げるコツは、とにかく音程をはずさない、抑揚をつける、適度にビブラートを入れる、らしいです。よし、また挑戦するから“あなただけの愛”1位の人と“눈의꽃(雪の華)”1位の人待っててね!
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イタリアでは何が一番おいしかったですか?とよく聞かれます。
「みなそれぞれに・・・」などとヘプバーン王女のようなことは言いません、正直に言いますと「リゾットです!」となります。
ミラノのチーズ味のリゾット、カプリのタコのリゾット、もうリゾットだけであとの魚や肉は要りません、ってくらい美味でございました。
わたしが作ったグリーンサラダ、ドレッシングはピエトロのグリーンキャップ(カロリー控えめ)。イタリアのサラダはオリーブオイルと酢と塩コショウを自分でブレンドして使うことが多く、日本のドレッシングの味、種類を見直しました。
ナスとズッキーニのペンネ、これは我が家で作った方がおいしいと思いました。ズッキーニは歯ごたえを残して炒めたものがおいしい。
ほたてのフレーバーソルト焼きと鱈のハーブ焼き、どちらもいい塩加減でボノボ~ノ。
聞きなれないハイカラな言葉を使ってしまいました。はい、ペンネのソースはボロネーゼのビン入り、ペンネ、ソースともに現地のスーパーで調達したものです。魚介用フレーバーソルトは岩塩にハーブが何種類かブレンドされているもので、おみやげ物屋さんで、ちょっと割高だったけどビンがかわいくて買ってしまいました。ハーブは日本でもよく見かけるビン入りの香辛料、スーパーで買い求めました。
ええいっ!まとめておみやげ紹介いってみよう。 長いです、しかしこれは自分と家族へのおみやげ用。友人用・職場用はまた別、どんだけ買って来たんだという話です、はい。
ソムリエナイフはB男くんセレクト。毎晩これで栓を抜いてワインを飲んでいました。
皮の手袋はあねへ、ベネチアングラスの時計はうーじんへ、喜んでくれました。
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今回の旅行では朝食を一度も紹介していませんでした。 わたしたち夫婦はナニを隠そう、旅行に出ると宿の朝ごはんが楽しみで、和洋問わずしっかり食べる主義です。
イタリアでのホテルの朝食はすべてビュッフェ形式でした。パンは塩味で皮が固く中が空洞というものが一般的ですが、ジャムやチョコ、カスタード入りのデニッシュやクロワッサンという甘いものも朝からどっさりかごに盛ってありました。フルーツもごろんと丸ごとかごに、さあ持ってけ!って感じの盛り方。わたしは最後の日もこれだけ食べました。
・・ローマ~ヘルシンキ~日本・・![]()
フィウミチーノ空港(別名レオナルドダヴィンチ空港)から。
この日はもう観光はなしで、往路と同じくヘルシンキ経由で帰るだけです。ヘルシンキ空港でお買い物をしたかったのですが、ローマでの出発から飛行機の離陸が遅れに遅れてどたばたの乗り継ぎ、ヘルシンキでは時間がありませんでした、・・・のわりにはキャンディーとチョコを買った・・・。
はあ・・・世界は狭いものなんだなぁ。
『赫尓辛基』これに乗るみたいです、あとは釜山と上海しか読めません。
こうして無事に日本へ帰ってきました。梅雨も明けているころだろうと思いましたら関西空港は雨、梅雨明けはまだまだ先のことでした。
・・本日のびっくり・・![]()
イタリアではおよそタダのものはない、これは旅行者向けの格言のようになっていて、トイレのみならず、レストランでお水を頼んでも有料、観光地で民族衣装をまとった人がにこやかに近づいてきて“はい、ポーズ”で有料、ナニを頼んでもチップ、頼んでないのに楽器を演奏してチップを要求される、旅の終わりにはそんな場面にも慣れましたが、空港へ向かう交差点でびっくりする光景に出会いました。
信号待ちでは新聞売りが車の間を回っていました。窓ガラス拭きは、こんな道具でフロントガラスを拭いていました。
断るチャンスを逸してしまった女性ドライバーが慌ててかばんから小銭を取り出す場面も・・・ここらへんまでならまだわかりますが、これ!
交差点で信号待ちの間にふたりの若い男女が横断歩道の真ん中へ出てきて、いきなりジャグリングを披露したのです。パフォーマンス終了後は停車中の車の間を縫ってチップを要求してました。すべて赤信号で車が停まっている間のお仕事です。素晴らしいアイデアと勤労意欲でした。
*・゚・*:.。..。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*・゚・*:.。..。.:*・・*:.。. .。.:*・゜゚・*
イタリアはどこの町も島もそれぞれに素晴らしい輝きを放つ地でした。歴史の重み、それはもうどっぷり体験させていただき、またそれを誇りに少々の生活の不便は笑い飛ばす明るい国民性に触れて、とても愉快な気持ちになれました。旅を終えて思うことは、わたしの住む国にもいいところがいっぱいあるんだと胸を張れるようになりたい、ということでした。
旅の写真はプリントしないでPCに入れたままとCDにコピーしてしまいます、なのでここでの記事がわたしにとってのアルバムです。 みなさん長ったらしい旅の日記にお付き合いくださいましてありがとうございました。また書き忘れなどの記事があがるかもしれませんが、とりあえず旅の日記はこれで完結です。では・・・
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