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2024年5月28日 (火)

まだあった想定外

今回からあねこの長男はあうくん、最近生まれた次男はなうくんと呼ぶことにします。

昼夜関係なくきっちり3時間おきに起きて泣くなうくんにおっぱいをあげることだけが仕事、「お寿司が食べたい」「アイスが食べたい」などと言いながら我が家でのんびり過ごしていたあねこでしたが4日目の夜、急に寒気がすると言って高い熱を出しました。

すわRSウィルスか、乳腺炎か・・・
RSウィルス感染症のあうくんはほぼ治っていたけど、自宅に寄ったときもあねこは用心して接触しないようにしていました。

前回の産後は乳腺炎にかかり高熱と痛さで懲りたので、今回はしっかりと授乳させて、脂っこい食事は避け野菜や果物と水分をたくさん摂るなど、かなり気を付けていました。
本人は「お腹が痛いからRSでも乳腺炎でもないように思う」と言います。

となると・・・
ネットで調べると、どうも産褥熱のような症状です。
なうくんを産んだ病院へ電話をすると、ちょうどあねこの担当の先生と話せて、今夜でも明日でもできるだけ早く病院へ来た方がいい、とのこと。

我が家から病院までは、車で高速道路を走っても1時間半ほどかかります、B男くんはすでにビールを飲んでいて今夜は無理です。
さあ、ここからがまた思案のしどころです。

診察だけしてもらってまたこちらへ戻ってくるのか、それとも診察後はそのまま自宅へ帰るか・・・。
産褥熱だとしたら入院の可能性も考えないといけない。
もしRSウィルスならなうくんにも感染していることを想定してこれまた入院もありうる、そうなると具合の悪い子を車に乗せて長時間走ることになりかわいそうです。
こりゃなうくんが元気なうちに病院に近い自宅に帰ったほうがいい、と結論づけました。

翌朝、たくさんの荷物を乗せてわたしたち夫婦とあねこ親子は高速道路を走り病院へ向かいました。

検査と診察で1時間半ほどかかり、その間わたしはなうくんを抱っこして、病院のあまり上等じゃないソファに座ったり立ったり歩いたり、肩と腕が固まって悲鳴を上げていました。
結果、産褥熱まではいかないけれど子宮が炎症を起こしていて投薬治療で済むとのことでした。

2番目の子は無事に生まれてきてホッとしていたら、この世には様々な憂いごとがあり、まったく油断も隙もないもんだと思った出来事でした。

あねこ親子と荷物を降ろした帰り道、わたしたち夫婦はこの激動の1週間の疲れがどっと出て、名神高速道路の吹田SAで休憩、遅いランチにしました。
お土産売り場で見つけたもの「なんでも商売にするなぁ」と笑いながら買って帰りました。

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2024年5月24日 (金)

想定外

初孫のAちゃんは産まれるとき、減っていく羊水の中に長くいたので感染症にかかり、また肺に水が溜まり、それらの治療でしばらく入院を余儀なくされました。
当初、あねこは産後すぐに我が家へ帰って養生する予定でしたが計画変更。
子どもを病院に置いてひと足先に退院したあねこは、自分の家で養生しながら母乳を搾ってAちゃんの入院する病院へ運ぶ日々が続きました。

でも、何かあったときのためにお産を総合病院ですると決めてよかった、産科と小児科の連携がスムーズでひとつの病院で済んだからと安堵してました。

さて、今回のお産も同じ病院でした。
Aちゃんの保育園のこともあり、退院後は産休・育休取得のはる男くんと一緒に自分の家で過ごす予定でした。
今度は出産も産後も至って順調で問題なく退院できる予定でした。

しかし、家ではる男くんとふたりで待ってるAちゃんがRSウイルスと言う流行の風邪に感染してしまったのです。
この病気は特に珍しいものではなく、大概の子どもは感染したりさせたり、さらに何回もかかることがあるそうです。
ところが、新生児が感染すると重篤な事態になることが多く入院を余儀なくされることから、Aちゃんとこのたび生まれた新生児のNちゃんを隔離しなくてはならなくなりました。

そこで、あねことNちゃんだけ我が家へ避難してくることになりました。
さあ大変。
和室を片付け、畳を拭いて、エアコンの掃除をして、布団を出して・・・これがまた急に決まったことなので仕事から帰って夜に、夫婦ふたりで頑張って部屋を整えました。

こうして週末、B男くんとわたしは、退院するあねことNちゃんを迎えに行き、超安全運転で帰って来ました。
我が家には「ほほげぁほほげぁ」と言うにぎやかな泣き声が響きわたっていました。

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チャイルドシートをはる男くんの車から我が家の車に乗せ換えるため、ちょっとだけ寄ったあねこの家、パパとお留守番が続くAちゃんは、初めてのマスクを嫌がらずにしておりこうでした。

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しかし、想定外な出来事はこれで終わりではありませんでした(次回へ続く)。

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2024年5月18日 (土)

ふたりめ

あねこが2人めとなる男児を無事に出産しました。

昨年の秋ごろ妊娠がわかり、予定日はAちゃんの誕生日ごろ・・・などと言うことをここに書いたとばかり思っていましたが、どこを探してもそんな記事は見当たりません。
お正月過ぎに帰省したとき、すでにあねこのお腹は戌の日を過ぎていましたが、まったく大きく見えないし、安産祈願の中山寺にも家族だけでお参りしたと報告があったので、ふたりめが生まれると言う実感がわたしにはあまりありませんでした。
それでもきれいな目の子が生まれるようAちゃんのときと同じようにアワビのつがいだけは贈りましたけど。

GWにAちゃんのお誕生祝いを持ってあねこの家に行ったとき、ぽこんとしたお腹をしていましたが下がってる気配はない、すでに産月なのに身軽に動いて車の運転もしているし、まだまだだなと思っていました。

今週初めの朝
「陣痛か単なる腹痛かわからんけど、前回の出産がスピーディーだったから、今回は早めにくるように言われてる、帰されるかわからんけどとりあえず病院へ行ってくるわ」
とLINEが来ました。
病院へ行って装置で測ってもらうと陣痛は5分おきに来ているらしく即入院となりました。
お昼ご飯を食べたら分娩室へ入りますと言われ、このときも
「まだあまり痛くないけど、行ってくるわ」
とLINEが来て1時間もしないうちに
「さっき産まれた、産むときは痛かったけど、子宮口が全開してから早かったからあんまり痛くなかったししんどくなもなかった」

え?
もう?
何と楽なお産。

ひとりめのときはわけがわからない中、痛くてしんどくて、もういややと思ったそう。
その痛さを知ってしまうとふたりめは恐ろしさしかない、と言っていましたが、本人も拍子抜けするくらいに安産でした。

この日はうーじんの誕生日「へへへ、子分だな」と叔母も喜んでおります。

そんなこんなでわたしたち夫婦は孫にお金がかかるので、まだまだ一生懸命働くことを誓います。

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2024年5月15日 (水)

『金と銀』ふたたび

「今日の服はこぉとだすやろか、職場のみなさんきれいにしてきやはりますよって、なんや気ずつのうおますわ」
「は?何言うてんねん、早よう行かな遅刻するで」
「へえ、ほな行て参じます」

『あきない世傳金と銀』全13巻プラス特別編2巻、1ヶ月足らずで読み終えました。
読書にこんなに没頭したのは珍しいことです。
『あきない世傳』の意味は、特別編のラストでやっと出てきます、なぁるほど・・・ってことでした。
わたしは今、天満の呉服商五鈴屋の世界にどっぷり、五鈴屋で女衆(おなごし)として働きたいくらいです。
なのでこんな話し方をしてB男くんに呆れられています。

話は変わりますが映画『鬼平犯科帳・血闘』を観てきました。

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映画の中、町の呉服屋さんの暖簾に『呉服太物商』と染め抜かれているのを見つけて
「呉服って言うのは絹で、太物と言うのは木綿のこと、ここは両方扱う店やで」
と隣のB男くんに教えてあげたくなったり、簪(かんざし)の片方が耳掻きになっているのを見つけては密かに
「紅屋さんの商品やな」
と思ったりしてひとりウケていました。

さらに
「そやさかい女衆は口入屋より身内の親戚やら知り合いやらから雇わなあかんっちゅうことや」
「あの女帯の結び方はお竹どんが指南した角出し結びやおまへんか」
もう、ストーリーそっちのけでした。
あ、いやいや、ストーリーも大変おもしろかったです。
北村有起哉さんが、どうしようもない悪いヤツを好演していました。

「幸四郎はん、お父さんを超えられるようせいだい精進しなはれや」
まだ言うてるわ、あっはは。

*画像は映画のHPからお借りしました。

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2024年5月11日 (土)

ふたりBBQ

堅物のB男くんはGW中、1日だけ有給休暇を取った以外はカレンダーどおりに出勤していました。

なので平日は帰省中のう~じんとふたりでのんびり過ごし、よく晴れた一日、お隣の三重県にあるさつきやつつじが美しい余野公園へ出かけました。

わたしが子どものころ、GWと言えばこの公園か京都の植物園へ出かけるとほぼ決まっていました。
当時はBBQなどする習慣がなかったので、母の作った巻きずしやいなりずしのお弁当持参です。
お弁当を食べて芝生の広場でキャッチボールをするだけだったのになんであんなに楽しかったんだろう。
前夜、雨が降りませんようにと兄妹で祈りながら布団に入った、古き良き昭和時代です。

さて令和の現代、折りしもGW中はつつじまつりの開催時期で、広い芝生の広場を囲むように自生するつつじは満開でしたが、平日と言うこともあり子ども連れがいなくてとても静かでした。

キャンプOK、都会のオートキャンプ場と違いまったく密集していません。
それぞれが好きな位置に好きな方向でテントを張っていました、無料です。
カセットコンロ使用ならBBQもOK、無料です。

わたしたちはお昼のBBQだけの用意、車から近くて適度な木陰に陣を取るとお昼まで少し間があったので、小高い丘に続く小径を散策したり・・・

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SLの展示を見たり乗ってみたりして・・・

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お昼にしました。
池には魚がいるようで、久しぶりのいいお天気にはしゃぎたいヤツが、文字どおり跳ねっ返っていました。

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一番近いテントの主は若い男性のソロキャンプのようで、テントを張り終えると椅子を倒して本を読んでいます。

鳥の声しか聞こえない。
わたしの野外活動のおとも、バードコールを鳴らしてみたら、田舎の純朴な鳥たちが怖がりもしないで近くの木々に集まってきました。

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日々田舎で暮らしているわたしにとっても気持ちのいい時間、都会で働くう~じんは静かな感動、自然を満喫した一日でした。

 

 

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2024年5月 8日 (水)

関ケ原古戦場記念館

今まで何度か関ケ原の古戦場に行き、西軍の石田三成が陣を構えた笹尾山に登り合戦場を見渡してきましたが、今回は『関ケ原古戦場記念館』へ行ってみました。
GW中の平日、少しお天気の悪い日ということもあり道路は空いていました。

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岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原といういかにも古戦場らしい所在地名です。
合戦当時の関ケ原は、周囲を小高い山に囲まれた広い盆地で、農業を生業とする村人が7つの村に分かれて住んでいました。
合戦により収穫前の田んぼは荒らされるので、村人はまだ実の詰まってない稲を刈り取り、家を残して山の上に避難し合戦の模様を見ていたそうです。
今では鉄道が通り、民家や工場などが点在する静かな山あいの地域です。

記念館は、入場料500円という良心的なお値段。
グランドビジョンで床に映し出される天下分け目の合戦に至る様子や東西陣営の俯瞰図、ちょっと目が回る。
その後はシアターで激突が展開される合戦の様子を見るのですが、このとき合戦の地にまぎれ込んだかのようにリアルに敵が迫ってきたり、馬が飛び越えて行ったり、座っている椅子が揺れたりして迫力満点。

抜け駆けする井伊、万事休すの大谷、動かない小早川・・・
歴史好きにはたまらない内容となっています。

その後は展示階から最上階へ上がり、360度関ケ原の街を見下ろします。
眼下には床几場と言われる徳川家康最後の陣跡が当時の配置のままあります。
石田三成の陣、笹尾山。

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おもしろかったです。
しかし、もっとおもしろかったのは、記念館に併設されたレストランのメニューのネーミングです。

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特に笑ったのは・・・

ハヤシライスとカレーライスの『天下分け目の戦い』

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定番のカルボナーラを裏切る味噌パウダー小早川の寝返り『裏切りカルボナーラ』
小早川秀明はとことん裏切者キャラで、400余年が経ってもこのような形でパスタに命名されています。

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東軍は牛そぼろを赤味噌で、西軍は鶏そぼろを白味噌で味付けしたまさに関ケ原カレー決戦の『悪戦苦闘足軽カレー』
このカレー、飛ぶようにとは言いませんけど、そこそこ売れていました。

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大谷吉継の頭巾に見立てた白いパスタ『大谷吉継きのこのパスタ』は早々に売り切れですって。

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スイーツに至っては『石田三成乱髪パフェ』とか『徳川家康たぬき親父パフェ』とか、よく知恵を絞ったものだと思います。

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注文するお客さんも、ネーミングに忠実に注文しています、わっはっは。
わたしたちはお昼を済ませて来たのでスイーツを注文しましたけど
「島左近鬼アフォガードひとつください」
って言いながら笑えてきました。

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記念館は興味深い展示やシアター、レストランも斬新な内容、関ケ原という歴史の大舞台を抱えうまく運用している自治体と企業の努力のあとが見て取れ、たっぷりと楽しめました。

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2024年5月 6日 (月)

飛び出し坊や愛

GW前半はぐずついたお天気続きで、お出かけの予定を変更しなければなりませんでした。

そんな1日、東近江市で開催されている『飛び出し坊や生誕50年展示会』(生みの親である久田泰平氏スケッチ展も同時開催)に行ってきました。

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最近のう~じんは、この飛び出し坊や(以下「坊や」と略します)の看板を見て「愛くるしい」などと愛でまくっております。
職場のデスクの上のメモスタンド、スマホの指リングなどなど、身の回りに小さな坊やを置いて密かに癒されているそうです。
会場となる東近江市の能登川博物館の駐車場には他府県ナンバーの車がちらほら、会場は図書館に併設された小さな博物館で、普段は民俗資料が常設展示されているようなところ・・・にもかかわらず数組の来館者がおられます。
「ほらね、この子は人気者なんや」(う~じん)

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基本の飛び出し坊や、堂々のガラスケースに展示。

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進化した、あるいは特化したバージョン

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もはや、子どもの飛び出しを抑制するという観点を見失いそう。

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 ご丁寧におトイレの案内板にまで・・・

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歴代の坊や、制作の過程などなど、坊や好きにはたまらない展示となっているようです。
ベニヤ板を型どおりに切り取って色を塗るだけではなく、表面を平らに、また色があせないように工夫と手間がかかっています。
なにもわざわざ見にこなくても、滋賀県では街中の路地、交差点に溢れるくらい坊やの看板はあるのに、推しによるとこの展示はまた格別の内容らしいです。

最近はまがい物も多く、かわいくないものやお口がにっこりと笑っているものも街中で見かけます。
しかし、この基本形の坊やは顔と身体の比率や表情など、やはり考え抜かれた逸品です。
この記事の中にもおくちがにっこりとしているものがひとつあります。
わたしは気付きませんでしたが推しのう~じんはすぐに見分けました。

風雨の中のお出かけでしたが、う~じんは大満足でありました。

 

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