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2024年2月17日 (土)

国家安康の鐘

京都国立博物館の北側に豊臣秀吉を祀る豊国神社があります。

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大阪城公園、滋賀県長浜市の豊公園、秀吉の出身地の名古屋にも豊国神社はあり、多くは「ほうこくじんじゃ」と読むのに対し、ここは正式には「とよくにじんじゃ」と読みます。

鳥居をくぐるとば~んと現れる唐門、国宝です。

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これは伏見城から二条城を経て南禅寺塔頭の金地院から移築されたものです。
唐門とは中国から伝わったように思われがちですが、平安時代後期に日本で生まれたものだそうで、屋根に独特の唐破風があるのが特徴、弓を横にしたように中央が高く、左右になだらかに流れる曲線を持つものです。
門というものの柱が4本ある堂々としたたたずまい、手の込んだ彫刻や豪華できらびやかな装飾は本殿か拝殿かと見間違うほどの立派さです。

琵琶湖に浮かぶ竹生島にも大阪城から豊国廟を経て移築したと伝わる国宝の唐門がありますが、そちらは極彩色の華やかなもので、全く趣の違う豪華絢爛さです。

豊国神社で無料参拝できるのはこの唐門まで、これより奥は入れません。

さて豊国神社の鳥居と唐門の間の小径を植木5本分くらい進んだところは方広寺の敷地で、豊国神社と方広寺は直近、自由に往来できます。
この寺院には有名な鐘楼があります。
その鐘楼には豊臣家滅亡を招く一端となった方広寺鐘銘事件の梵鐘が吊ってあるのです。

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方広寺鐘銘事件とは・・・
秀吉亡き後、秀頼が亡き父の菩提を弔うために方広寺大仏殿を再建しました。
その鐘楼に納める梵鐘に刻まれた銘文の中の『国家安康』『君臣豊楽』の2句が家康の名前を分断し呪詛するもの、豊臣を君主として楽しむことという意味が隠されているとされ、家康が激怒する大事件となったのです。

これは豊臣家を滅亡させるための家康側の言いがかりという説が一般的でしたが、一方この銘文を考案した東福寺の僧は「意図的に家康の名前を織り込んだ」と白状したとか諸説あります。
その部分はよくわかるように白く色づけされているのだけれど肉眼では読めません。

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何にしろ、はるか昔に秀頼が誇りをもって造ったもの、家康がその目で見て「ここよ、この文句よ、ほれ見てみぃ」と言って騒動の火種になったものが、400余年を過ぎた今もそこにあることは、当時のお城や偉人の墓石を見るのとは違う感慨深いものがありました。

この鐘楼の天井には迦陵頻伽(かりょうびんが)という上半身が人間、下半身が鳥の極楽浄土に住むとされる生き物が全面に描かれています。
歴史的な鐘、美しい天井画を拝観料なしで見せてくれるって、京都にしては珍しいですね(すみません)。
写真はほんの一部です。

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ところで、これものすごく大きな鐘です。
第二次世界大戦のころ、世界一の大きさを誇る大阪四天王寺の梵鐘は金属供出により兵器にされました。
以降、供出を免れた方広寺の鐘が世界一の大きさとなりました。

ほんと大きいです。
先週、京都南部を中心とするやや強い地震がありました。
ふと思ったのはこの梵鐘のこと、ゆっさゆさと揺れたことでしょう、木造の柱で支えていることにちょっと不安を感じました。

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