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2024年2月28日 (水)

パーキングジプシー

わたしは通勤の際、自宅から駅まで車で行き、駅近のパーキングにとめています。

昔、駅は北側にしか乗降口がなく、駅の南側は雑草のはびこる空き地でした。
しかし南側にも乗降口ができ、それに伴って駅の両側にロータリーができ、バスやタクシーの乗り場ができ、となるとマンションや飲食店が建ち、今では北側より南側の方が利用客が多くなり、周辺の雑草地を持つ地主さんはいきなり長者となったのです。

わたしが借りているパーキングは南側で、あねこが大学生のころから借りており、かれこれ20年ほどになります。
駅に近い、1区画が広め、賃料が安い・・・地主さんは儲ける気がないのか、ずっと値上げもされませんでした。

しかしここに来て・・・
地主さんから、正確には地主さん方の若奥さんから電話がありました。
なんと・・・
マンションを建てるから3月いっぱいで契約を解除します。
規約の第何条かに明記されているそうです。

え~~~!!!
そんな・・・
だってもうひと月ほどしかないやん。

駅周辺には他にもパーキングがいくつかありますが、狭い、高い、それにも増して空きがあるかどうか・・・。

そこから慌てて他をあたってみました。
少し遠くてもちょっとでも安いところ、というのはわたしの職場では駐車場の補助が全額出るわけではないからです。
看板を見て連絡先と書いているところに次々電話してみましたが、いっぱいです、と断られ続けました。
看板には『空いてます』『空有』などと書いていますが嘘です、『満車』と書いているところはひとつもありませんでした。

しかたなく一番駅に近い、高い、狭い駐車場、ここはスマホで看板のQRコードを読み取って空き状況を確認し申し込みします。

面倒な手続きを終えてやっと区画の番号が送られてきました。
一番端っこの何回か切り返しをしないと区画の中に収まらないところです。
しかも向かい側には大きなワンボックスカーがで~んととまっています。

あ~あ、なんだか毎日の出勤、気が重いなぁ・・・。

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2024年2月25日 (日)

石山寺

週末、帰省していたう~じんの希望で大津市にある石山寺へ行って来ました。

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平安時代、京の都に住む貴族たちの間では石山寺詣でが人気でした。
琵琶湖のほとり、小高い山の上に建つ風光明媚な名刹は特に女性貴族の参拝が多く、中でも女流作家の藤原道綱の母が『蜻蛉(かげろう)日記』、紫式部が『源氏物語』の発想をこの寺で得たとされています。

菅原道綱の母とは寧子(やすこ)と言って大変な美人で教養のある女性、大河ドラマ『光る君へ』で財前直見さんが演じています。
夫は右大臣藤原兼家、段田康則さんです。
だれもがうらやむ高貴な男性に嫁ぎ華やかな生活を送っているものと思われたもののそこは正妻ではなく、実際の生活は貴族に嫁いだゆえの嘆きや苦悩の毎日で、その様子をはかなく弱く美しい蜻蛉に例えて執筆したそうです。
百人一首に『歎きつつ孤りぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る』という歌が選ばれていますが、詠み人は『右大将道綱の母』とだけです。
ただ今寧子は息子の道綱を出世させて欲しいと盛んに夫に訴えていますが、これからのドラマで寧子のはかない生活が描かれるのでしょうか?

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左が右大臣藤原兼家、真ん中が左大臣源雅信、左大臣の方が格上です。
ドラマではもう少し先ですが、右大臣家の三男坊道長(柄本佑)と左大臣家の箱入り娘倫子(黒木華)は結婚します。
この時代、婿入り婚が主流ですから、左大臣家に婿入りした道長にとってはビッグチャンス、大出世の兆しです。

さて、ドラマの話は置いといて・・・
小雨の降る寒い日でしたが、山門前は大勢の観光客でにぎわっていました。

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ここは何回か来たことがありますが、これほど多くの参拝客を見るのは初めてです。
おそるべし大河ドラマ人気。

わたしたちはお寺の参拝とNHK大河ドラマ館のセット券を購入、まずは大河ドラマ館から・・・
ドラマ館ですから歴史的な展示はありません。
ドラマで使われた衣装や登場人物の紹介、吉高由里子のインタビューやサイン色紙などが展示されています。
人物相関図があり、登場人物の説明に「〇〇と結婚する」とか「不幸な目にあう」などとネタバレしていました。

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さて、気を取り直して参拝しましょう。
石山寺はその名のとおり硅灰石という固い岩でできた山の上に本堂があり、山全体が寺院の敷地です。

石段を上がるとで~んと大きな岩。

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紫式部が源氏物語を執筆したと伝わる本堂の片隅の小部屋。

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月見亭
崖に突き出すような建物、ここからの琵琶湖、月の眺めはとても美しいらしいです。

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ここは花の寺とも言われ年中お花が咲いていることでも有名です。
3か所ある梅園には紅白の花が咲いていましたが、少し早いようでした。

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寒い。
この先には豊浄殿という展示収蔵施設があり、普段から紫式部展が開催されていて、以前秋の展示会の開期中に来たときは平安絵巻の見事な絵画を観たことがあります。
あれ?
閉館期でした。
収納品を貸し出しているのでしょうか?
とにかく開期は毎年春と秋のみ、今年は夏にも展示をするようですが残念でした。

さ~っと巡って紫式部像です。

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ドラマで取り上げなければ興味もわかない寺院でしょうが、今回参拝できてよかったね、う~じん。

この後は、京阪電車石山寺駅まで歩いてみました。
途中の郵便局、乗っかっていますね。

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石山寺駅にはちょうどラッピング電車がとまっていました。
ドラマに合わせて駅の手すりも紫色に塗り替えられました。
う~じんにとっては馴染み深く懐かしい駅です。

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JRも『光る君へ』ラッピング電車を運行しているようですが、わたしはまだ出会ったことがありません。

 

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2024年2月22日 (木)

いいまつがい

久しぶり、B男くんのいいまつがいです。

【その1】
「大谷翔平の犬、かわいいなあ、デカパンやったか?」
「ちっが〜う、言い直し!」
「デコポン?」
「言い直し!」
「デコッパチ?」
そこまで出てきて、なんでデコピンが出てこないのさ?

【その2】
「トイレの修理やけど、本体は交換するにしても上に乗せてるシュレッダーはそのまま使いたいなぁ」
シュレッダーに座ったら怖いことになるでしょうね、ウォシュレットのことでした。

【その3】
「馬に乗るだけでも怖いのに、手ぇ離して弓を使う、あれ、はるさめやった?ようあんなことできるなぁ」
流鏑馬(やぶさめ)でした。
もうめんどくさいのでこれは訂正しませんでした。

【その4】
「花山大吉、よう売れてるなぁ、テレビで見ぃひん日がないわ」
テレビ画面には博多華丸・大吉が映っていました。

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昔「素浪人花山大吉」という時代劇で、松方弘樹さんのお父さんの近衛十四郎さんが演じていた剣の腕が立つ浪人が花山大吉です。
焼津の半次と2人で旅をしながらその土地土地での難問を解決していく、コメディタッチの痛快時代劇って感じのドラマで、花山大吉はおからが好きで・・・って、そんなこと知ってる人、わたしくらいやで。

以上です。

 

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2024年2月17日 (土)

国家安康の鐘

京都国立博物館の北側に豊臣秀吉を祀る豊国神社があります。

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大阪城公園、滋賀県長浜市の豊公園、秀吉の出身地の名古屋にも豊国神社はあり、多くは「ほうこくじんじゃ」と読むのに対し、ここは正式には「とよくにじんじゃ」と読みます。

鳥居をくぐるとば~んと現れる唐門、国宝です。

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これは伏見城から二条城を経て南禅寺塔頭の金地院から移築されたものです。
唐門とは中国から伝わったように思われがちですが、平安時代後期に日本で生まれたものだそうで、屋根に独特の唐破風があるのが特徴、弓を横にしたように中央が高く、左右になだらかに流れる曲線を持つものです。
門というものの柱が4本ある堂々としたたたずまい、手の込んだ彫刻や豪華できらびやかな装飾は本殿か拝殿かと見間違うほどの立派さです。

琵琶湖に浮かぶ竹生島にも大阪城から豊国廟を経て移築したと伝わる国宝の唐門がありますが、そちらは極彩色の華やかなもので、全く趣の違う豪華絢爛さです。

豊国神社で無料参拝できるのはこの唐門まで、これより奥は入れません。

さて豊国神社の鳥居と唐門の間の小径を植木5本分くらい進んだところは方広寺の敷地で、豊国神社と方広寺は直近、自由に往来できます。
この寺院には有名な鐘楼があります。
その鐘楼には豊臣家滅亡を招く一端となった方広寺鐘銘事件の梵鐘が吊ってあるのです。

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方広寺鐘銘事件とは・・・
秀吉亡き後、秀頼が亡き父の菩提を弔うために方広寺大仏殿を再建しました。
その鐘楼に納める梵鐘に刻まれた銘文の中の『国家安康』『君臣豊楽』の2句が家康の名前を分断し呪詛するもの、豊臣を君主として楽しむことという意味が隠されているとされ、家康が激怒する大事件となったのです。

これは豊臣家を滅亡させるための家康側の言いがかりという説が一般的でしたが、一方この銘文を考案した東福寺の僧は「意図的に家康の名前を織り込んだ」と白状したとか諸説あります。
その部分はよくわかるように白く色づけされているのだけれど肉眼では読めません。

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何にしろ、はるか昔に秀頼が誇りをもって造ったもの、家康がその目で見て「ここよ、この文句よ、ほれ見てみぃ」と言って騒動の火種になったものが、400余年を過ぎた今もそこにあることは、当時のお城や偉人の墓石を見るのとは違う感慨深いものがありました。

この鐘楼の天井には迦陵頻伽(かりょうびんが)という上半身が人間、下半身が鳥の極楽浄土に住むとされる生き物が全面に描かれています。
歴史的な鐘、美しい天井画を拝観料なしで見せてくれるって、京都にしては珍しいですね(すみません)。
写真はほんの一部です。

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ところで、これものすごく大きな鐘です。
第二次世界大戦のころ、世界一の大きさを誇る大阪四天王寺の梵鐘は金属供出により兵器にされました。
以降、供出を免れた方広寺の鐘が世界一の大きさとなりました。

ほんと大きいです。
先週、京都南部を中心とするやや強い地震がありました。
ふと思ったのはこの梵鐘のこと、ゆっさゆさと揺れたことでしょう、木造の柱で支えていることにちょっと不安を感じました。

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2024年2月14日 (水)

町中華に並ぶ

京都東山三条のマルシン飯店の天津飯は関西一おいしいとか日本一おいしいなどとテレビやSNSでよく取り上げられます。
そんなこと聞いたら行かずにおられない食いしん坊バンザイのわたし、友人Bちゃんと行ってきました。

お店は午前11時開店で翌朝6時までのロングラン営業、にもかかわらず何時に行っても行列とのこと、しかしメディアで取り上げられたらしばらくは行列かもしれないけど、ほとぼりが覚めたころならたいしたことないやろ、と平日の開店時刻の午前11時を少し回ったころに行ってみると・・・なんのことはない、こんな感じです。

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開店と同時に第1回目のお客さんが入ったすぐあとのようで、我らは20数人目くらいでしょうか。
2回めのコールでは無理っぽいねぇ、などとときおり小雨がぱらつく中を並びました。
修学旅行のシーズンじゃなくてよかった。
最近の修学旅行生は、新京極で新選組のキーホルダーなどベタなものを買ってる子などいない。
タクシーでこういう穴場へ乗り付けたりするようです。

途中、若いお坊さんが走って来店、電話注文しておいたものを取りに来たようで、また走って帰って行かれました。
さて、1時間ちょっと並んでようやく店内に入れました。

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予想どおり狭い、テーブルが10席もなかったと思います。
やはり天津飯を注文する人が多く、あとは餃子ですね。
普通のと熟成とがあり、ようわからんからオーソドックスな普通の餃子を頼みました。

「お待たせしました、はい普通の餃子、こちらさんは熟成餃子ですね」
お向かいさんは少しお高い熟成、普通の餃子の我らは苦笑いです。
しかしこれがめちゃくちゃおいしい。
わたしの作る野菜たっぷりの餃子によく似ています。
あ、言うときますけど、わたしは若いころ、中華料理店で働いていた方から教えてもらった餃子の作り方を頑なに守っており、自慢やないけど(いや、自慢ですけど)我が家の餃子はおいしいです。

さて、本命の天津飯です。

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ところで、天津飯のあんは関東と関西では違うということをご存知でしょうか。
関東は甘酢、関西では醤油味なんですよ。
さらに関西ではあっさりした塩味というものもあるそうです。
餃子の王将でも、関東では甘酢あん、関西では醤油あんを提供しています。
マルシンさんでは関西王道の醤油あんです。

待望のひとくち目、からすぎず甘すぎず、さらに脂っこくなくおいしい。
さすが日本一、行列覚悟と言わしめるだけあります。
しかし、ご飯の盛りが多くて途中でうっぷ~となりました。
そこで登場の卓上酢、これで味変してなんとか最後まで食べましたが、最後の方はもうおいしいんだかそうでないんだか、ようわからんというのが正直な感想でした。

食後、近くの青蓮院という門跡寺院へ行った帰りの午後2時半ごろ、まだ行列は続いていたのでした。

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2024年2月10日 (土)

源氏物語の世界展

風俗博物館を見学した感想記です。
個人の感想ですので、これから行く方は参考程度に読んでください。

『光る君へ』では、ドラマが終わったあとの数分間、ドラマに関連する土地や施設の紹介があります。
少し前に京都にある風俗博物館を紹介していて、美しい、見応えありそうと思いHPで場所を確認したら、なんと休館中ではないですか。
あと1月ほどで開館するとのことで、テレビ画面の隅に小さくその旨出ていたそうです。

閉館中の施設を紹介するってどうよ?
しばらく待てば再開するのだからそれから紹介してもいいと思うんだけどな、開期を確かめずにいく人きっといると思うわ、と友人Bちゃんと憤懣やるかたなし。

ようやく再開した先日、友人Bちゃんと京都駅前の西本願寺近くにある風俗博物館へ行ってきました。

公式サイトでは・・・
『源氏物語の光源氏の邸宅六条院の一部を4分の1で復元。人形調度品も4分の1で復元。実物大の寝殿も一部復元。』
う〜ん、期待が膨らみます。

JR京都駅から堀川通を北へ、西本願寺を左手に見て進みます。
「地図ではこの辺なんやけどなあ」
「ん?このビルの中?」
細長いビルを見たとき、あまり広いフロアではなさそうとやや不安な胸騒ぎ。
エレベーターで5階へ、との案内表示に従って行き、受付で入館料800円を払っていざ展示へ。

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満開の桜の下、平安時代の内裏とそこに暮らす貴族たちが人形で再現されていて、豪華な建物や美しい着物はまさに源氏絵巻そのもの、きらびやかな世界が広がります。

明石の女御の皇子誕生の場面、左端におられる東宮が皇子を抱いておられます。

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しかし全部ゆっくり見ても10分もあれば見終えます。
もう一回見て回ろうと、またもやゆっくりと時間をかけて見ても10分かかりません。

館内の展示物はこんな大きさです。

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本当に4分の1ですか?

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ふむふむ、平安時代の男性の身長は160cmほどだったそうなので、だいたい4分の1くらいのようです。

「明石の女御って、ほんまにいやはったん?」
「いやいや、物語の中の人物やない?」
「源氏物語の六條院の生活って書いてあるやん」
「大きい声で話して間違ってたら恥ずかしいなぁ」

しかし、心配いりません。
来館者はわたしたちふたりだけでした。

 

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2024年2月 8日 (木)

プール再開で再会

スポーツクラブの施設改修工事がようやく終わり、4ヶ月ぶりにプールへ行ってきました。

ロッカールームやシャワールームも広くなりとても気持ちいい。
懐かしい顔ぶれとの再会では
「ここまで来る道順忘れて迷いかけたわ」
「もうこのまま退会しようかとも思ったけど、休みの間に死んでしもたと思われるのもいややからがんばって来た」
「食っちゃ寝続きで太ったから水着がきつきつで、3日ほど前からほぼ絶食しててんけど、それでもむっちむち、途中ではじけたらみんなで囲ってや」
お年寄りがマイナーなことを言ってるわりにはみんな明るい。
爆笑続きでロッカールームはさながら女子高生の部室のようににぎやかでした。

さて、運動メニューは変わってないけどわりとしんどい、そしてとにかく身体が重たい。

休みに入ったころに痛めた右膝は全く問題なく動きます。
しかし、1月中旬に玄関前の石段でつまずいたときに(次々ヤッてるのね、れいちさん)痛めた左膝が少々痛い・・・。
むこうずねのあたりがつる・・・。
周りのレディースの中にも「足がつった」と一時停止する人がいます。

そして驚きの事態は翌日の朝にやってきました。

ベッドから降りようとしたら、なんと腰が痛いんです。
限りなくぎっくり腰に近い、一歩手前のような感覚。
そろそろと階段を下りて、用心しいしい歯磨きと洗面をすませ、湿布を貼りました。

長いこと使わなかった筋肉が急に使われて驚いたものと思われます。
こうしてガラス細工の膝、腰を抱えたわたしの水中ウォーキングはそろそろと再開したのでした。

それにしてもわたしの行った日は7人、前の日は5人しか来ていなかったって・・・。
改修工事にたくさんお金がかかったと思うけど・・・大丈夫か?

 

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2024年2月 3日 (土)

ろうばい

お正月にはつぼみをつけていた庭の白梅の木、その後つぼみは一向に開く気配がなくずっと同じ様子が続いています。

10数年前、B男くんが退職記念に買った紅白の盆梅、翌年には白い花しか咲かなくなり地に下ろしたものです。
大きくなりました。
退職後、第二の職場で頑張るB男くんを見守り、一緒に成長してきたようにも見えます。

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半月ほど前、JAのスーパーへ行ったら蝋梅(ろうばい)の切花が出ていました。
まだまだ固いつぼみでしたが、1週間ほどたったころ何とも言えないよい香りが漂い、枝のつぼみが2つ3つ開いているのを見つけました
花弁が蝋細工のように見えることから名付けられた蝋梅は、名前に梅とつきますが、バラ科の梅とは違いクスノキ科の植物です。
ゆえに梅の香りとは全く違う芳香を放ちます。

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形よく枝の先を切り落としたらいいものの、つぼみをつけているのでそれも忍びがたく、あるがままの形です。
写真はとてもきれいに撮れるのですが、ここに載せるとぼんやりとして、色々試してみてもこんな程度にしかお見せすることができません。

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年々冬が暖かくなってきているとはいえ、やはり春は待ち遠しいもの、花粉さえ飛ばなければ「早く来い春よ」と庭の梅の木を眺める日々です。

 

 

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