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2024年1月10日 (水)

安土城

織田信長が天下統一を目指す1579年に安土山に完成させた安土城、天守といえば質実剛健なものだった時代に信長の建てた天守閣は荘厳華麗なもので、人々の度肝を抜いたとされています。
これ以降、趣向を凝らした美しい天守閣を備える城が中心になっていきます。
滋賀県近江八幡市安土町は、岐阜城よりも都に近い利便性があり、北陸・東海の要所でした。

しかし築城からわずか3年後の1582年6月2日、明智光秀による謀反により信長は京の本能寺において自刃、6月15日には天守などを焼失して落城しました。
それは織田信雄の放火によるもの、明智軍が火を放ち退去した、などの説がありますがどちらにしろ日本初の美しい天守閣をいただく城は一夜にして灰となりました。

B男くんの提案により、山へ登る前に麓の信長の館を見学することにしました。
こちらには原寸大に再建された天守閣が展示されています。

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この建物はセミナリヨという文芸ホールで、イタリア人宣教師によって創建された日本初の神学校の名前にちなんでいます。
矢印のところにちらっと屋根が見えているのが『安土城天守信長の館』です。

このエリアには、他にも県立安土城考古博物館とかあづちマリエートという凝った建物があり、どこへ行けばいいのかよくわからない。

Photo_20240108135601

さて、信長の館に入ると・・・
惜しい、天守閣が原寸大であるならもう少し大きな施設にして、遠くから全体を眺められるようにしてほしいもの。
これじゃ、どこから写真をとっても全体が入らない。
展示物とお土産の区別がつきにくい。
階段を上って最上階の室内も拝見できるけど、その階段は狭くてやや不安定。

写真撮影は自由にできましたが、SNSに載せてはいけないとのことだったので、滋賀県の公式観光サイトからお借りします。

Img_3472
展示物やVTRなどを観て予備知識はOK、前記事で雨が降って来たと書きましたが、とりあえず安土城址駐車場へ向かいました。
通り雨だったようで雨はやんでいましたが、念のため杖代わりの傘を持っていざ、登るぞ。

いきなりの石段、この石段は段差が大きくて石も不ぞろい、その段差は30cmくらいから高い所では50cmくらいあります。
史跡であるため手すりなどの安全策は施されていません。
しかも雨で濡れた石はすべる。
ここには過去何回か来ていますが、こんなにしんどかったかなぁ。

Img_3457

両側に『豊臣秀吉屋敷跡』『前田利家屋敷跡』などを眺めながら、言うことを聞かない足をなだめすかして登ります。
ところどころに仏像の彫られた石が階段の一部として使われており、おっと危ない、うっかり踏みつけてしまうところでした。

Img_3477

Photo_20240107172701

う~じんはいつものようにすいすいと先を行きますが、老夫婦にとってはハワイのダイヤモンドヘッドに迫るくらいのしんどさです。

ひぃひぃはぁはぁ・・・
ありゃ、途中であきらめたのか引き返す人がいます。

Img_3447
この黒金門の石垣は当時のまま、しっかりした造りです。
ここをくぐったら天守跡か、残念本丸跡でした。
広いです。
本丸跡を曲がるとやっと天守跡に到着。
規則正しく並んだ礎石のある部分は地下です。
この上に先ほど『信長の館』で観た天守閣が築かれていたのですね。

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琵琶湖が見えます。
お城が現役だったころの安土山は琵琶湖に突き出した半島で3方が琵琶湖、故にこの地が選ばれたそうで、そこから船で大津へそして京へ、船で早く安全に行けました。

う~じんは
「いいところだなぁ滋賀県、誇りに思うわ」
と大満足でした。

麓のお土産物屋さんでコーヒーを頼んで
「値打ちがありましたわ」
とお店の人に言うと
「当時のままの風情が人気なんですよ」
と言われました。

安土城址は今も発掘調査が進んでいて、全容が明らかになるのはいつのことになるのでしょうね、楽しみです。

 

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