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2024年1月 7日 (日)

ディスカバー地元

年末年始、かなり長い休暇を取って帰省中のうーじんが、近江商人屋敷へ行きたいと言いました。
それならばとB男くんが、資料館を見学してから行こうと提案しました。
もとより商売、金儲けに多大な興味のあるふたりに付いてわたしも行きました。

滋賀県にルーツを持つ商人は、高島屋などの高島商人、布団の西川などの八幡商人、武田薬品などの日野商人、そして伊藤忠、丸紅などの小幡商人、これらを総称して近江商人と呼ばれています。

まず、東近江市五個荘町にある近江商人博物館へ行きました。

さっそく帳場に座る娘・・・

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行商のスタイル体験をする母・・・

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この有名な写真は伊藤忠商事の創始者さんの姿だそうです。

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この地に伝わる『三方よし』とは『売り手よし、買い手よし、世間よし』つまり、売って儲けて喜ぶ、いいものを買って喜ぶ、それが地域の発展につながるという近江商人の大原則、自分の儲けだけ追及していたら、その商売は遠からず不振を招く、との教えです。

さて、このあとは五個荘町金堂という商人屋敷の並ぶ地区をぶらぶら散策する予定でしたが、その近くの建物のこの門構え、何かの博物館かと思ったら、なんと公立小学校の校門ですって。

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大城神社は映画やドラマの撮影でよく使われるところで、朝ドラカムカムエブリバディでは戦死した稔さんの名前を呼んで安子が泣き崩れる場面、ブギウギでは奥さんの病気快癒を願って旦那の柳葉敏郎さんが号泣する場面などで登場しました。
住宅街の中なのに静かで現代的なものが何もない、撮影にうってつけの神社でした。

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地区の中に流れる小川には鯉が泳いでいます。
どこまでが1軒の敷地なのかわからない屋敷が軒を連ねています。
回覧板を隣に回すのもよっこらしょっと腰をあげないといけない、行って帰って5分はかかるようなところです。

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商人屋敷として見学できるところは3ヶ所あり、そのうちの外村繁邸を見学しました。
明治時代に日本橋と高田馬場で呉服問屋を経営していた商人でしたが、跡継ぎの繁さんは文学に傾倒し、商売を弟に譲り作家となったという家です。

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居室、台所、蔵の中まで見せていただいて堪能しました。
蔵の中は外村繁の文学館となっています。
近江商人は立派な家に住んでいますが、その暮らしぶりは質素そのもの、日ごろの食事の様子を見ても贅沢のそぶりはみじんもありませんでした。

このあとは、安土城趾へ行く予定でしたが、パラパラと雨が降ってきました、さてどうしよう。

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コメント

れいちさん
うーじんさん、今までになく年末年始長くお休みをとれて、リフレッシュされたことでしょう。

近江商人博物館、とても面白そう。
ちょうど、年末に小幡商人の興した商社に行ってきたばかりで、その歴史を読んできたところです。
それにしても、広いお屋敷!
質素堅実な生活をしていたようですが、たくさんの使用人、奉公していた人々の気配が感じられそうです。

滋賀県は見所がいっぱいで、ほんとに楽しそうですね❗

投稿: 秀子 | 2024年1月 7日 (日) 17時50分

秀子さん
う~じんは長い休みを満喫して、昨日の夕方やっと帰って行きました。
羽田への便が減らされていてどれも満席、ようやく見つけた臨時便で成田へ向かっていきました。
今日から通常運航されるようですね。

近江商人は地元と関東とを往復する商売の形態で、地元で留守を預かる奥さんは、質素倹約しながら子弟の教育、奉公人の採用、その奉公先の店の決定権まで持っていて、すごく忙しくて大変な生活だったそうです。

隙あらば寝っ転がっているわたしにはとても無理、しかも奉公人は器量よしばかり選びそうで、きっと没落の一途だったことでしょう。

>ちょうど、年末に小幡商人の興した商社に行ってきたばかりで・・・
あら、伊藤忠さんか丸紅さんですね?
創始者さんたちは、ものすごい先見の明があったとしか思えません。
そしてそれを大きくして代々つなげていくこと、これもすごい努力のいることだったでしょうね。

う~じんが帰省するたびに、わたしまでいろんなことを再発見できてちょっと楽しいです。

投稿: れいち | 2024年1月 8日 (月) 15時09分

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