身びいきの伊賀越えルート
滋賀県南部の甲賀市は三重県の伊賀市・亀山市と隣接していて、
い・・・伊賀市
こ・・・甲賀市
か・・・亀山市
の3市が行政や観光で連携して「となりまちへ、い・こ・か」をキャッチフレーズにいろんな行事を催行しています。
伊賀と甲賀はともに忍者を前面に打ち出して、市長さんたち、コスプレでがんばる。
さて、前置きが長くなりましたが、い・こ・かの共同イベント「いこかを鉄道でめぐる徳川家康ゆかりの地ウォーキング」にB男くんと一緒に参加してきました。
JR柘植駅に集合
今回のイベントは鉄道の利用、特に地方路線の利用促進も目的のひとつなのでみなさん電車で来られました。
なんともレトロな駅舎、三重県で一番に設置された駅だそうです。
くのいちがお出迎え。
主催者と参加者併せて50人ほどがそれほど広くない駅前に集合、おそらく普段は見られない光景なのでしょう、行きかう人が驚いていました。
さて、行く先々で家康にちなんだトークがあるのですが、特記すべきは午前中の2ヶ所でお寺の和尚さんとボランティアガイドさんの話が身びいきでおもしろかったことです。
テーマは「神君伊賀越え」です。
伊賀のお寺の和尚さんは、代々寺に伝わる貴重な資料を元に、伊賀越えは伊賀ルートしかないとおっしゃる。
和尚さん手書きの地図、説明も慣れておられます。
徳川家の当主徳川家広氏と歴史学者の磯田道史氏もお越しになったそうです。
赤色が伊賀ルート、通説です。
途中の緑色が甲賀ルート、数年前からこの説が浮上しました。
紺色が奈良ルート、急いで三河へ向かう必要からこのような遠回りはあり得ないそうです。
「ただし当時はここからが伊賀、ここからが甲賀などという行政区画などなく、単なる山道であったので、伊賀も甲賀も含めての伊賀越えではなかったろうか」
との冷静な判断もお持ち合わせでした。
参加者は歴史好きな人が多く、質疑応答で予定外に時間がかかりましたが、電車の時刻が迫ってきているので早歩きで駅へ向かい、わたしの膝は悲鳴を上げていました。
甲賀の和田惟正の居城である和田城館群の見学では、ボランティアガイドさんが、神君伊賀越えの前年に信長が伊賀を襲撃して壊滅に追い込んだことから、信長と同盟関係にあった家康が危険な伊賀を通るなどと言うことはあり得ない、まして忍者が前面に出て手引きをするなどと言うことは忍者道に反する、よって信楽から先は甲賀の和田城を経由したと考えるのが自然ではなかろうか、家康の礼状もある・・・と。
ふむ、これも一理ある。
とにかく、おもしろかった。
お昼には、い・こ・かそれぞれの特産品を使ったお弁当が用意されていて、特産物の話題で盛り上がりました。
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