福島へ行ってきた
福島県を旅してきました。
幕末の戊辰戦争から始まった会津藩の忍耐と葛藤、悲劇の舞台となった会津若松。
時代の大きな波に翻弄されながらも、義に生き、誇りを失わなかった会津の人たち。
これらはいくつかの著作やドラマで知ってはいましたが、実際にその地に行くのは初めて、だいたい東北には仙台しか行ったことがなくて、とても楽しみでした。
わたしとB男くんは伊丹から福島空港まで飛行機で向かいました。
よいお天気で富士山もばっちりくっきり見えました。
福島空港では、この地の出身ウルトラマンの生みの親の円谷英二氏にちなんでウルトラマンがたくさん出迎えてくれました。
さあ、ここからレンタカーで郡山駅まで行って、東京から新幹線で来たうーじんと合流です。
この子が加わるととたんに車内がにぎやかになります。
♪はぁ〜会津磐梯山は宝の山よ~
♪おはら庄助さんなんで身上つぶした~
などと民謡まで飛び出します、そんな歌よう知ってるこっちゃわ。
そうこうしているうちに会津磐梯山のなだらかな稜線が見えてきました。
ところで、わたしが初めて読んだ偉人の伝記は野口英世でした。
小学校の低学年だったと思います。
生い立ちから黄熱病で亡くなるまで、表紙までしっかり覚えています。
探してみたらネット上にありました。
(古本よみた屋さんのサイトよりお借りしました)
猪苗代湖のほとりの野口英世記念館に生家が保存されているとのことなので行ってみました。
ありゃ?
ずいぶん広くて、思っていたよりきれい。
保存にあたり、原型を損なわない程度に手が加えられたのでしょうか。
幼い英世が囲炉裏に落ちて、左手の指がくっついてしまうという災難に見舞われた部屋。
この不自由な指を切り離す手術を受けたことから、彼は医学を目指すようになります。
それにしても猪苗代湖は自然がたっぷり、琵琶湖の遊覧船やモーターバイクを見慣れた目には、とても静かな湖でした。
このあとは、ビューンと南下して大内宿へ向かいました。
江戸時代の会津西街道、別名下野(しもつけ)街道の宿場町で、街道の両側にならぶ茅葺きの民家は、ほぼ土産物屋と食事処になっていて、重要伝統的建造物保存地区に指定されています。
本陣を見学して、茅葺き屋根の葺き替えの様子をビデオでみたあと外へ出てみたら、実際に屋根の葺き替えをしている家屋があり、作業の様子が見られました。
名物「ねぎそば」は、お箸を使わないでねぎ1本でそばをすくって食べるんですって、そんなん無理や~ん。
わたしたちは食べていません、看板だけ。
さて、そろそろ夕方です。
会津若松市内の山あい、東山温泉へ向かい露天風呂で汗を流しました。
【この日の食】
猪苗代湖の近くで名物ソースカツ丼
ご飯の上に千切りキャベツ、甘辛いタレを絡めたロースカツがぎっしり、秘密のケンミンショーで見たとおりでした。
桃の恵み
猪苗代湖の道の駅で買った桃のジュース、不二家のネクターみたいなものを想像していたら、全く違う。
桃100%なのにサラッとしてあまり甘くなく、爽やかなのどごしでした。
ゆべし
大好きなお菓子です、行く先々で見かけるので買ってみました。
ゆべしは柚餅子と書くので、ゆずが入っているのかと思いましたが、これはゆずの味はしなくてくるみが入っているだけでした。
控えめな甘さですけど、ずっしりとお腹に来ました。
こづゆ
会津地方の郷土料理で、お祝い事の宴席には必ずふるまわれる汁物です。
具は7~9種類の奇数で割り切れない数を使い、お平と言われる平たい朱色のお椀に盛るそうです。
ほたての貝柱のおだしに山菜がたっぷり入っていて、素朴に見えて奥深いお味でした。
地酒
旅館のダイニングでは、飲み放題1,700円でした。
日本酒好きのB男くんにとっては垂涎もの。
このほかラウンジでは2~3種類の日本酒が好きにいただけました。
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