2日目は、四国とおさらばして瀬戸大橋を渡り本州へ向かいます。
ここからは中国地方です。
まずは広島県尾道市。
尾道は多くの映画やドラマに登場する坂の街です。
瀬戸内海に面しているのですが、その幅の狭さからこの海は尾道水道と呼ばれています。
これは千光寺公園へ上がるロープウェイ、下に見えるのが尾道水道です。
千光寺公園から千光寺へ続く山の中の小径は『文学のこみち』と言われていて、文豪たちの詠んだ句が彫られた岩の間を散策するようになっています。
時折り小雨のぱらつく空模様で、暑い、蚊がいる、石段が滑る・・・
名物のみかんソフトクリームを食べてる間にも2~3ヶ所蚊に刺されました。
さて、小雨の降る中、高速道路で本州最西の山口県へ向かいます。
途中、宮島と名のつくあたりのサービスエリアで、宮島名物のアナゴが食べられないかと探しましたが、SAのレストランはほぼ休業していて、開いているのはコンビニとフードコートくらいです。
仕方なく、宮島ラーメンというどこが宮島風なのかよくわからないラーメンを食べてランチとしました。
この旅のランチは困難を極めるなぁ・・・。
B男くんなんか、すでに土地の名物は諦めていて、トンカツ定食です。
しかも好みのお味ではなかったようで機嫌が悪い、こどもかっ!!!
山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋へ行きました。
1673年に作られた橋で、このバックの山の上の岩国城と城下町をつなぐ橋が大雨のたびに流れてしまうので、なんとか丈夫な橋をと当時の藩の方々が考えたところ、橋脚を失くせば流れないのではないかというアイデアが出て、その後紆余曲折がありこのようなアーチ型の橋となったのです。
もちろん全て木で組んでいます。
なんとも精巧で美しい形の橋です、感激しました。
下を流れる錦川では鮎釣りをしている人がいて、鵜飼いの屋形舟も出るあたり、岐阜の長良川と似ていますね。
少し前にこの橋をバイクで渡った不届きものがいたらしく、只今観光協会ではその防止策に頭を抱えているそうです。
別の角度から・・・
さて、次は山の中をひたすら走り山口県から島根県の津和野へ向かいます。
この道で合ってるのか?
ナビはここを行けって言うてる
えらい細い道やなぁ
この旅ではカーナビとETCカードの威力を改めて感じました。
山口県は当代総理のお膝元、すごい田舎でも道路が整備され、山の中を単線ながら鉄道が走っていました。
津和野は山陰の小京都と言われる津和野城の城下町で、歴史ある建築物が残るしっとりとした美しい隠れ里です。
しかし、雨の夕暮れに散策する人もなく、わたしたちも車でさ~っと流し見しただけでした。
津和野から山口県の萩までは少しだけ整備された『萩津和野線』という幹線道路があり、またもや山道をひたすら走りました。
お天気が悪いのですでに薄暗い・・・。
萩の町についたのは夕暮れでした。
同じ山口県でも、錦帯橋の岩国は瀬戸内海に面していますが、萩は日本海に面した街です。
夜中には雷が鳴り、窓に激しく雨が打ち付ける音がしましたが、翌朝には小やみになっていて、なんとか萩の街を散策できました。
幕末には吉田松陰の松下村塾でたくさんの若者が学びました。
桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博史などなど・・・
その後の明治維新でも活躍した人が多く、政治家を排出するという土地柄が現代まで続いています。
ここからは『明治日本の産業革命遺産』が次々出てきます。
松蔭神社
松下村塾
町並み、高杉晋作と桂小五郎はご近所さんです。
木戸家の方は庭に柿、栗、柑橘類の木がたくさんあって、ちょっと暮らしに余裕が感じられました。
反射炉
大砲の鋳造をめざして当時の長州藩が、すでに反射炉の製作に先行していた佐賀藩へ教えを請いに藩士を派遣したものの拒否され、渡されたスケッチだけで作ったもの。
試験操業だけで、本格的な操業はなかったとされています。
昨年行った韮山の反射炉では、実際に作った大砲が展示してありました。
外敵に備えようとする当時の各藩の焦燥が感じられる遺構でした。
さて、この旅のランチではハズレ続きの憂き目を見てきましたが、ここに来てやっと、やっとおいしいランチに出会うことができました。
萩の町のはずれにある道の駅『しーまーと』は、漁港に直結していて、この中のレストランではその日水揚げされた魚介を使ったお料理が食べられます。
わたしの海鮮丼
B男くんはこの日のお魚定食
いやあ、おいしかったっす。
お値段も手頃で、とっても新鮮な魚でした。
さあ、この日はあとひとつ、島根の出雲大社へ寄ってから松江で泊まることになっています。
我ら夫婦の願い事はただひとつ、娘たちに良縁がありますように・・・でした。
最近のコメント