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2019年8月15日 (木)

倒れるかと思った大阪城

大坂の陣の後、徳川政権は、大坂城を築き直し大坂の地を西国支配の拠点としました。

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幕末の動乱と第二次世界大戦の空襲などで多くの建物が焼失しましたが、多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵は災禍を潜り抜け今日まで残った貴重な歴史的建造物です。
この夏、この三つの櫓(やぐら)を公開しています。
猛暑の折り、高温注意情報が出ている中、友人Bちゃんと行ってきました。

コンサートやイベントでおなじみの大阪城ホールに近い環状線の大阪城公園駅ではなく、地下鉄谷町線の天満橋で降り、大手門から入ると、すぐに多聞櫓、千貫櫓が見えてきます。

抜けるような青空とはこのことですね、気温も湿度もぐんぐん上昇してきました。

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ところで幕末の世情混乱時、京都が緊迫すると徳川家茂は幕府軍の指揮を執るため上洛して大阪城に入りました。
しかし、長州征伐真っ只中、家茂は急逝します。
脚気、リウマチ、毒殺・・・いろんな説がありますが、とにかく次の将軍に立った慶喜が大阪城に入ります。
しかししかし、この将軍、鳥羽伏見の戦いの真っ最中、形勢不利と見ると配下に頑張れと檄を飛ばしておきながら、自分は夜陰に紛れて大坂城を脱出してしまいました。
この後、薩摩軍に押された幕府軍は大坂城に火をつけたため、建物のほとんどが焼け落ちてしまったのです。

ここらへん、幕末好きが熱く語る展開です。
で、何が言いたいかと言いますと、このときの火災と第二次世界大戦の戦火を潜り抜け、よくぞ残ってましたこの櫓、ということです。

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創建当時のままの櫓の中は蒸し風呂状態です。

Gg

3つ目は、焔硝蔵です。
これは弾薬庫、全部石で造られています。
ボランティアガイドさんがいかに優れた構造かということを紹介してくれていましたが、あかん、あまりアタマに入って来ない。

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あ~暑い。
もうちょっと季節がよかったらじっくりと見て回り、思うこと感じることもあったかもしれないけど、いかんせん暑すぎる。

この後、京都へ移動して二条城の大広間四の間の一般公開も見るのですが、残念ながら暑すぎてあまり心に残らないものでした。

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おまけ

中村藤吉本店の京都駅店にて・・・

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生き返りました。

 

 

 

 

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