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2018年9月 1日 (土)

島原の輪違屋

浅田次郎さんの『輪違屋糸里』は、新選組隊士が壬生で送った日々と島原の芸妓たちを描きながら、初代筆頭局長である芹沢鴨の暗殺事件の背景に迫る名作です。

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輪違屋に糸里と言う芸妓がいたかどうかは定かではないらしのですが、『壬生義士伝』での吉村貫一郎と同じで、浅田次郎さんの描く幕末もののファンなら誰しもその存在を信じて、はっきりとした輪郭まで感じることができることと思います。

京の夏の旅キャンペーンで、島原の『輪違屋』を公開すると聞きつけて、幕末好きのわたしとBちゃんで行ってまいりました。

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島原は地名ではなく、もとは京の町の中にあった置屋が当時の政策により立ち退きを余儀なくされて、あわただしく家移りした様子が、まるで島原の乱のようだったから、この地区を島原と呼ぶことになったんだそうです。

輪違屋は現存する置屋さんで、普段は公開していません。
もともとは養花楼という名前でしたが、立ち退きをせまられた代わりに置屋と揚屋ふたつの営業を許可されたことから、輪がふたつの輪違屋という屋号を名乗ったそうです。

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街灯、のれん、花台などに輪違いのマーク、とてもかわいらしい。
近藤勇や桂小五郎の書なども展示されています。

二階、傘の間(京都観光局HPよりお借りしました)

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実際に太夫が使った道中傘を貼ったふすま、これはなかなか思い切った意匠ですね。

経営者の高橋さんのの『高』が入っています。
この傘をさした太夫が揚屋へ向かうと
「ああ、輪違屋さんの太夫さんやな」
とわかるんだそうです。

ここは、公家や高級官僚が遊んだところなので、そのお相手をする太夫も相応の教育をされていて、詠んだ和歌の字はとても美しいものでした。

ちなみに、置屋は芸妓を抱えるところ、揚屋はその芸妓を呼んで遊ぶところです。
さらにちなみに、島原は花街、吉原は遊郭、芸を売るところと色を売るところで区別されています。
きれいなお姉さんは、島原では太夫、吉原では花魁と呼んでいます。

近くには角屋さんという揚屋も公開されていますが、こちらは5年前に行って、新選組の狼藉の痕跡を確認済です。

とにかく暑かった。
その昔、太夫たちは着物を何枚も重ね着してようも過ごせたもの、冷えたビールなどなく、せいぜい井戸水で冷やした冷酒・・・だったんでしょうね。

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