わたしが小さいころ、実家がある田舎町では、夫婦とこどもに祖父母やその上の曾祖父母もいる4世代同居の家が珍しくなく、「ただいま」と言えば、よほどの農繁期でもない限り、「おかえり」と迎えてくれるお年寄りがいる家庭がほとんどでした。
わたしの父は、子のない叔父の家に養子にきた人で、そのときすでに叔父夫婦は高齢でしたから、父が結婚してわたしの兄が生まれたころに叔母、つまり兄とわたしの祖母にあたる人が亡くなり、わたしが2歳のころに祖父が亡くなりました。
だからわたしには祖父母の記憶がなく、近所のともだちがおじいさんやおばあさんにかわいがられることがとってもうらやましく、また祖父母がいない上に両親まで死んでしまったらわたしは孤児になってしまう・・・と常に幼い心を痛めていました。
そのくせ、小公女やあしながおじさんなど孤児を扱った童話が大好きで、屋根裏部屋に憧れ、部屋の隅に枕屏風と座布団で狭くて暗い空間を作り、本を読んだりしたものでした。
しかし、そんな心配も杞憂、わたしは孤児にはならずに、両親はおかげさまでそこそこ元気に暮らしております。
父の日、母の日は今年もランチに誘いました。
昨年は電車で移動して、駅から近いホテルでバイキングでしたが、それさえ歩くのがしんどそうだったので、今年は車で家から店の玄関までの送迎付き、胆石の手術をした母のことも気づかって和風の料亭にしました。
よく使う 『がんこ高瀬川二条苑』 です。

B男くんが予約のときに、米寿の両親を連れて行くと言ったので、焼き鯛のサービスがありました。

あねこは仕事の関係で来られませんでしたが、う~じんが参加して盛り上げてくれました。
う~じんは、わたしの父の絵や書を誉めるのがうまくて、誉めて誉めて誉めまくって根負けした父からお小遣いをもらうという、汚い手を使います。
今回も「わざわざよう来てくれたなぁ」と言っておひねりをもらっていました。
両親は、今年の秋、揃って88歳の米寿を迎えます。
そのお祝いは兄が計画してくれていますが、やっぱり今年も
「この夏は越せへんかもしれん・・・」
と母は言ってます。
でもたぶん・・・越すと思います。
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