NHK大河ドラマの『真田丸』ではあっさりと描かれて、我が家のB男くんには不評な天下分け目の関ヶ原でした。
布陣や小早川の寝返りや石田三成や大谷吉継の最期が描きこめてない、短い!とも・・・。
「これは真田のドラマ、関ヶ原に真田は出陣してないんやし、これでええやん」
と言っても、薄っぺらいと酷評です。
さて、三成に関しては、地元滋賀の生え抜きと言うこともあって以前から好感を持っていました。
三成の出身地や祀られた神社を訪ねたのはもう6年前です→石田町の石田三成
そして、まだ記憶に新しい天下分け目の関ヶ原はこちら→おそるべし三成ブーム
そしてそして今回、ドラマと並行するように、満を持して三成の居城であった佐和山城跡へB男くんと行ってきました。
観光案内所で案内図をいただき、杖と虫よけスプレーをすすめられていざ出陣!
龍潭寺というお寺の参道から入ります。
さっそく三成像、かなり凛々しく作ってあります。
苔むす庭を通り抜け・・・
山門から墓所を通り抜けたら、徐々に道幅が狭く勾配が急になってきます。
歩くこと15分ほどで西の丸跡へ到着。
思ったより狭い。
西の丸は本来、隠居した城主や奥方が住んだところですが、このような山城では実戦的な砦であったのかもしれません。
ここからまた15分ほどでやっと山頂に到着しました。
ここも思ったより狭いです。
へろへろです、矢印は彦根城。
関ヶ原の合戦のときに佐和山城は落城、その後、合戦で大きな手柄のあった井伊家は彦根城を建てる際、彦根城を見下ろす形となる佐和山城のてっぺんを15mほど削ったのですが、それでもまだこちらの方が高い。
ちなみに佐和山城の石・材木などはすべて彦根城建築に使われ、佐和山城の名残はわずかに残るこの石垣くらいです。
『治部少に過ぎたるものがふたつあり、島の左近と佐和山の城』
三成は私腹を肥やすということがなかった人らしいですから、派手さはないにしろ堅固なお城だったのでしょう。
この石垣も含めて、山頂ではボランティアガイドのおじいさんが、落城の際に女こどもが身を投げた女郎谷や値千金と言われた千貫の井戸など案内してくれました。
案内がなかったら決してわからないようなところです。
ガイドのおじいさんは佐和山城に限らず、滋賀県内の各地のお城の事情にも明るくて、なかなかおもしろい話をいろいろ展開してくれました。
来年の大河ドラマは『おんな城主直虎』、主な舞台は浜松だそうですが、初代彦根藩主を育てた井伊直虎の生涯が描かれるとあってとても楽しみにしています。
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