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2014年10月 4日 (土)

お城と言えば・・・おまけ

彦根城から南へ約20km進むと、安土という町があります。

こちらは安土桃山時代の武将、織田信長の安土城があったところです。
安土城は、本能寺の変の後、明智光秀の命により天守閣と本丸が焼失してしまい、当時の全容を知る資料は残ってないとされてきました。

しかし最近、加賀藩大工の資料から安土城の設計図が見つかり、1992年スペインのセビリア万国博覧会の日本館で原寸大に復元された天守閣が展示され、万博閉会後は安土で保存されています。

安土城のあった安土山から南東に約1km、こんなのどかな景色の中、考古博物館や文芸セミナリヨという建物に混じって、天守閣が展示されている『信長の館』があります。

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天守閣の周囲には通路と階段が設けられていて、見学しながら上がっていくようになっています。
肖像権云々で、館内の写真は撮影してもいいけどネットなどで公開しないように、との注意書きがありましたので、ここには載せられないのが残念ですが、天守閣は中も外も金銀ぴかぴかで豪華絢爛、細部にまでとても丁寧な仕事がしてあり、ため息が出ました。

「・・・たら」「・・・れば」は言うてもしょうのないことですが、信長が天下統一をなし得て、その政権が末代まで続いていれば、この地が日本の中心だったかもしれません。

そうなれば、関西弁が標準語となり、びわ湖タワーは東京スカイツリー、我が家の草だらけの庭は坪ン百万・・・

「こちとら江戸っ子だい」
「寿司でもつまんでいきな」

「うちら滋賀作やでぇ」
「鮒ずしでも食べていかへんか」
ってことになるのでしょうか。

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