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2013年11月 6日 (水)

平和資料館

わたしの実家の両親は、今月2人そろって誕生日を迎えます。

どこか行きたいところはないかと尋ねたら、父が『三重県の香良洲(からす)平和資料館へ行きたい』と言いました。
『永遠のゼロ』の原作を読んで映画の公開を心待ちにしているわたしとしても異存はありません。
よく晴れた休日、B男くんの運転で出かけました。

父は10代のころ、海軍飛行予科練習生(予科練)として、三重海軍航空隊で訓練を受けました。
終戦間近の2年間ほどのことでしたが、年老いて思い出す若いころと言えば、そこでの訓練期間のことだそうです。

資料館に近づくにつれて
「ここはずら~っと続く松並木やった」
「休みの日に松坂へ遊びに行った帰りは、みんなで線路を走った」
などとどんどん思い出が湧いて出てくるようで、口数も増えてきました。

当時は村の3分の1が海軍省の基地で、兵舎と講堂やグラウンド、飛行機やグライダーの格納庫と滑走路などからなるだだっ広い施設でした。
そこで毎年何千人もの若者が訓練を受け、飛行兵になって各地の部隊に配属されていったのです。

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館内には館長さんがおられ、父が『ここの卒業生です』と言ったら、名簿があるとおっしゃるではないですか。

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ありました。
父が期生と兵籍番号をたどると、当たり前ですがそこに父の名前があり、その前後には同期の人の名前がありました。
父、感極まってしばし絶句。

館長さんは気さくな方で、
「こないだも息子さんに抱えられるように歩きかねて来た高齢の方が、帰るときには背中を伸ばしてひとりで歩いて帰られましたよ、胸につかえていたものがす~っと下りていったとおっしゃってね、どうぞ、ゆっくりと見て行ってください」
とおっしゃいました。
生きるか死ぬかの極限状態、戦死した仲間、急激に発展した日本・・・どんな思いを抱えての戦後だったのでしょう。

3階建ての館内には、当時の教科書、制服、飛行服、ゼロ戦の模型、訓練の様子や卒業式の写真、手紙や遺品などなど、展示物は多くはありませんでしたが、どれも父の心に訴えかけるものばかりで、たっぷりと時間をかけて回りました。(館内撮影禁止のため写真はありません)

資料館の庭には、各期生の慰霊碑が建っています。
翼を広げた形の表に戦死者の名前が刻まれていますが、あまりに多い期生の碑は幅も広い。

Photo_2

表に書ききれなくて碑の裏側にもびっしりと名前がある期生もあります。

基本3年かかる訓練は戦局が悪化するにつれて2年、1年半と短縮され、配属先では神風特攻隊として戦士した人あり。
海軍で飛行兵の訓練を受けながらも、戦艦から海の中へ発射される魚雷の操縦を命じられ戦士した人あり。
父は卒業前の試験で操縦の資格を取ったものの、配属先の部隊では乗る飛行機さえなく、魚雷を隠す洞窟を掘る作業に明け暮れたそうです。
たくさんの若い命が散っていった戦争は、悲惨とか残酷などという言葉では語りきれないものがあります。
魚雷や神風と紙一重だった父の人生から平和のありがたみをつくづく感じた1日でした。

おまけ

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父が休日に遊びに行ったという松坂城址を見学した後、昼食は松坂名物のすき焼きにしました。
お腹いっぱいに食べて、両親とも喜んでくれました。

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コメント

れいちさん
ご両親の誕生日、おめでとうございます。
二人揃って誕生日を迎えられるのは幸せまことですね。

平和資料館への旅、まるでNHKのドキュメンタリーをみているような気持ちで拝見しました。

>胸につかえていたものがす~っと下りていったとおっしゃってね、
多くの若者の命が散っていたた戦争…生き残ったことに苦しみをかかえた人も少なくなかったとも聞きます。

慰霊碑に刻まれた名前がそんなに多いと、平和ぼけした感のある現代は、今一度思い出してもいいのかもしれませんね。

「永遠のゼロ」、ただ今息子が読んでいますが、一向に終わらない。映画公開までに私とB男くんが読む予定なのに。

松阪牛、めっちゃおいしそう!!

投稿: 秀子 | 2013年11月 7日 (木) 18時19分

秀子さん
コメントが遅くなってしまって申し訳ありません。
週末から仕事で上京していまして、帰ったら帰ったでオトコひとりにお留守番を任せていたので用事の多いことったら・・・。

今回のプチ旅行は、B男くんががんばってくれました。
親孝行したいときには親はなしなどと申しますが、B男くんが自分の親にするように積極的に計画・催行してくれてずいぶん助かりました。
そうなると、B男くんの親にわたしは何をしてあげただろうという反省も生まれてくるわけで・・・。

戦争って、わたしたちの生まれるほんの10数年前のことだったんですね。
そのわずかの間に日本は大きく変わったので、わたしたちがこどものころには戦争の名残りなどほとんど見かけませんでしたが、父の世代の人にとっては、まだまだ戦争色の濃い戦後だったのでしょう。
父の記憶の泉から湧き出すエピソードを聞くと、ときに恐ろしく、でもそこはほれ、まだまだ幼い少年でしたから、かわいそうでもあり、でもいろんな理不尽が当たり前、それが戦争なんだなぁと改めて思いましたね。

『永遠のゼロ』、息子さんから回っているのですか?
ふふふ・・・
来月末の公開ですね。
主人公に関わった人が次々証言していく形で物語が進み、その気になったらすらすいす~いと読めますから、映画までに読み終わることをぜひおススメします。

近江牛の産地に住んでいながら松坂牛を食す、昨日東京で近江牛のすき焼き屋の前を通りかかって、ちょっと食べてみたい衝動にかられました。
できたらお鍋を二つ並べて食べ比べ・・・やってみたいわぁヽ(´▽`)/

投稿: れいち | 2013年11月10日 (日) 18時36分

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