碧玉となる
函館戦争終盤時には町の中が戦場と化し、あちこちに戦死者の遺体があったものの、賊軍(旧幕府軍)の戦死者を弔ってはならないという新政府のお達しにより、遺体は放置されたままでした。
それを見かねた侠客の柳川熊吉が、実行寺の住職とともに約800体の遺体を集め、実行寺に葬ったとされます。
この行為を新政府は厳しく攻めて熊吉を打ち首にしようとしますが、彼の堂々たる態度に結局は黙認されたということです。
最終的に熊吉は函館山に土地を買い、そこに戦死者を改葬して建てた碑が碧血碑(へっけつひ)です。
立待岬を見てから・・・
山の中腹をしばらく進むと車が入れない道になり、立札が出ています。
ちょっと怖いけど、さっきの立札に230メートルって書いてあったし・・・
こ、これはなに?
クマのあしあと?(・・・んなアホな)
碧血碑という碑銘の由来は『忠義を貫いて死んだ者の血は、地中で三年経てば碧玉となる』という中国の伝説にちなんでいるそうです。
幕府のため、それが正義と信じて戦っていたら、ある日突然新政府が樹立され、自分らは賊軍となり追われる立場となった旧幕府軍の戦士たち。
葬られずに討ち捨てられた戦士たちはここに葬られ、まさに3年経ったころその血は碧玉となったことでしょう。
【おまけ】
あねこが・・・
昨年食べたトラピスト修道院のソフトクリームに並ぶおいしいソフトクリームが、トラピスチヌ修道院にあると言うから行きました。
トラピストほどの濃厚さはないけれど、なめらかでやや甘め、ミルクの風味がしっかり香るおいしいソフトクリームでした。
(正確には、修道院の前の市民の森のログハウス風売店で売っています。)
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