中山峠から江差へ
今回の函館行では、行く先々で歳さんファンに出会いましたので、キーワード検索でここへたどり着かれてもいいようにそこらへんを意識して記事にします。
ちょっとマニアックな内容になっているかもしれませんがあしからず。
江差から上陸した新政府軍を待ち受ける土方歳三が陣を構えた二股口は、函館から車で30分ほど、人家のない寂しい中山峠にあります。
明治2年、函館戦争の前哨戦です。
途中、こんな看板があって・・・
脇道を入ってみたけれど、『この先路肩注意、通行止』などという看板に出会い、結局探し当てられませんでした。
さて、二股口です。
ここは天然の要塞ということでもあり、この先はちょっと怖くて入れませんでした。
ここから5分ほど車で江差方面へ走ると『新政府軍陣地跡』の道標があります。
新政府軍600人、対する土方軍300人。
土方軍は善戦しますが、同じころ大将の榎本軍が矢不来(やふらい)で敗れたため土方軍は函館へ敗走せざるを得なくなるのでした。
ちょっと怖い中山峠を越えると、厚沢部(あっさぶ)を通り江差へ抜けます。
函館戦争時代の江差というところは・・・
二股口の戦いの半年ほど前のこと、榎本武揚は旧幕府軍が所有する開陽丸で江差に無血上陸しました。
開陽丸は江差港に入港した後、座礁して沈んでしまいます。
松前から江差に入り榎本と合流した土方は、檜山奉行所から沈みゆく開陽丸を眺め、悔しさのあまり門のそばの松の木をこぶしで叩いて泣いたと言われます。
そして、そのとき土方が叩いたところが瘤になったとか・・・。
『こぶしの松』です。
これかい?
ということで、歳さんの足跡を辿る旅は続くのであります。
おまけ、江差名物『にしんそば』
どさんこポテトじゃがバター塩辛味。
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コメント
PC壊れて買い替えた ふじ です。
函館の土方歳三。
新撰組は好きだが、殆ど知らない。
中山峠? ゴン中山でも住んでいるのか?
江差? 食べると美味いのか?
二股口・・ あかん、変な事しか思いつかん。
開陽丸は何となく知っているけど
はは、その前で写る顔隠した女性の
すましたポーズが気になって仕方がない。
UFOでも見つけたのかな?
投稿: ふじ | 2013年10月12日 (土) 18時23分
ふじさん
PC壊れたんですか~、ついに?
8マンは優れた機能がたくさんついているらしいから、早く慣れて使いこなしてくださいね。
二股口・・・(こんなとこで反応せんでもええよ)一本木関門、五稜郭、四稜郭、千代台、万代・・・数字のついた地名がたくさんありました。
歳さんが歩いたかもしれない道、歳さんが見たかもしれない景色・・・どこも気を許さないで見学しましたぜ。
そうそう、江差でニシンが獲れたころ、北前船でニシンを日本全国に運んだのは近江商人で、その立派な屋敷が今も現地に残っていました。
商魂たくましいですね。
どこまでも行きますね。
うちらにもそんな血が流れているんですかね。
さて、海辺にたたずむ美女が気になりますか?
「にしんそばうまかったなぁ、そやけど甘いもんも食べたいなぁ」
とつぶやいているのです。
そして美女はこのあと、地元の老舗で豆大福を食べたのでした、あっはっは。
食べましたよ、ポテチも食べたし・・・
なんか文句ある?
投稿: れいち | 2013年10月13日 (日) 00時22分