函館の歳さん
突然ですが、土方歳三の写真は現在1枚しか残されていません。
では、それはどこで撮影されたのか・・・?
諸説あるようですが、歳三は、函館へ行く前に五兵衛新田(足立区綾瀬)で義兄の佐藤彦五郎(姉ののぶの夫)に会ったときには、刀(葵越前康継)のみ渡して写真は渡していません。
その後、歳三が函館で戦死したあと、小姓の市村鉄之助が日野の佐藤家へ届けた遺品の中に写真があったということです。
このことから、写真は函館で撮ったものというのが有力な説です。
函館の写真館となれば、それは慶応年間から函館で写真を撮っていた田本研造の写真館しかないと言われています。
これは明治時代の地図です。
函館は明治12年に大火に見舞われているので、当時とは町の形相が変わっています。
これだけを頼りに?
探しに行く?
・・・ってことで函館へ行ってきます。
他にもめっちゃマニアックなところも下調べしてあります、すでに十分マニアックだと思われているでしょうが・・・ふふふ。
では、トラブルのないように心して行ってきま~す。
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コメント
またお姉ちゃんのところに行ってるんですね
連日快晴で存分にマニアック旅行を楽しんでおられることでしょう
土方歳三の写真はいろんな意味でいくらみても飽きないですね。
鬼といわれた歳三のこの悲しそうな顔。
函館で撮られたということなら、ようやく死に場所を得て、最後の最後に生まれ育った日野の地に思いを馳せてフト感傷的になった一瞬を逃さず田本研造氏はシャッターをきったんでしょうか。
マニアック旅行記、楽しみにしています。
投稿: bonn | 2013年9月23日 (月) 00時02分
そうやねえ・・・
悲しそうといえばそう見えるねえ。
盟友の近藤には死に別れ、生涯ヨメを取らず、義に生きた美しい人生でしたなあ。
100数十年経って、半ヲタのおばちゃんにこうして賛美されようとは想像だにしやはりませんかったやろうなぁ。
今回の函館では
『函館に来て、名所と言われるところを全部はずして回ってるのはお母さんくらいやで、きっと』
と娘が申しましたのよ。
しやけど、今回の歳さんゆかりの地めぐりでは、いろんな歳三ファンに出会いました。
そんなあれこれは、次回の記事にて・・・。
投稿: れいち | 2013年9月24日 (火) 18時06分
なんだか散々な
JR北海道ですが、影響はなかったですか?
マニアックな男前の歳三サン巡りにトラ子さんも付き合ってくれたのね。エエなぁ~
歳三サン以外のレポ(
食いモン系)も楽しみにしてまーす(笑)
私信:来月初めの義父の十三回忌に、トラキチ就職して初めて帰省の予定です。
一・三・七回忌、どれも出てないのにね
投稿: のりりょん | 2013年9月24日 (火) 19時02分
ただいまで~す
この3連休は、とってもいいお天気で
>なんだか散々なJR北海道・・・
とあねこの
を利用でしたので影響はありませんでしたけど、夏にGLAYのコンサートで函館へ行った知り合いは散々な目にあったと怒っていました。
ほんまに、次々と不祥事が出てきて困ったものです。
わたしは
考えてみれば、そのときもその前からも全く改善されてなかったってことですよね、あ~こわ。
>マニアックな男前の歳三サン巡りにトラ子さんも付き合ってくれたのね・・・
ふふふ・・・
とらこも函館に4年も住んでいながら、函館の歴史を知らなさすぎ、へ~~~って連発してました。
だれにも自慢でけへん、とアタマ抱えてましたけどね、ぎゃはは。
とらきっちゃん、仕事や生活に余裕ができたんですよ、きっと。
社会人だもんね、ご先祖様のお参り、おおいによろしいじゃないの?
こちらは来月、義姉の1周忌です。
甥とそのこどもにまた会えると思うと今から楽しみで仕方ありません。
え?
趣旨がちがう?
投稿: れいち | 2013年9月24日 (火) 19時50分