今年の桜は哀しい桜
幕末、京都守護職に任ぜられた会津藩主の松平容保が本陣を構えた京都黒谷の金戒光明寺。
わたしの実家のお寺の大本山で、『くろだにさん』と呼んでいたので、金戒光明寺という名前と、幕末におけるこの寺院の役割りについては大人になってから知りました。
ここには、蛤御門の変から鳥羽伏見の戦いを経て戊辰戦争までに戦死した会津藩の藩士の墓があります。
一昨年の秋に訪れたとき、紅葉に少し早い墓地に低く広がる桜の木があるのを見て、いつか桜の季節に来ようと決めていました。
今年の桜は、会津藩士追悼の桜です。
新選組を従え、京都の治安と朝廷を守る任にあたっていた会津藩は、明治政府が樹立されると旧幕府軍として薩摩・長州の連合軍から朝敵・賊軍とみなされ、最後は会津戦争の敗北をもって新政府軍に降伏します。
最後まで徳川家に忠義を尽くそうとした藩主と、時代の波に翻弄され、故郷を遠く離れた地で逆賊として落命した藩士たち・・・ひっそりと咲く桜花に彼らの悲しみを見た気がしました。
あ、そうそう。
桜はひっそりと咲いていましたが、バスツアーの団体さんなど訪れる人は多く、とてもにぎやかな墓地でした。
NHK『八重の桜』の影響でしょうか、ドラマではいよいよ戊辰戦争に突入です。
【おまけ】
この日は、偉人さんのお墓参りが好きなB男くんと一緒でしたので、このあと、金戒光明寺からほど近い若王子山にある新島襄と妻八重の墓へお参りしました。
手前が八重さんのお墓、奥が夫の襄さんのお墓。
こちらは八重さんの兄、山本覚馬さんとその家族のお墓。
こちらもドラマの影響でしょうか、イノシシに注意の看板があるちょっと険しい山道でしたが、たくさんの人が訪れていました。
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コメント
歴史ある桜は、みなどことなくもの哀しい。
今回の記事には、お花見につきものの食いネタが乗っていない。
れいちさんには珍しい、と思って読んでいたけど・・
あっ、
ひょっとして、哀しく感じたのは歴史に思いをはせたんじゃなく
お腹が空きすぎたからじゃないのぉ?
投稿: ふじ | 2013年4月13日 (土) 07時55分
あ、食べ物のこと書くの忘れましたね。
がっかりさせてすみません。
実は・・・
京都駅で電車からホームに降りたとたん目の前が立ち食いうどん屋さんでして、そういうところに行ったことがないから行きたいって言って主人を誘い、けつねうろんをいただきました。
とても寒い日だったのであったまりました。
そのあと、お昼を予定していた永観堂のあたり、人がいっぱいで茶店のお弁当も売り切れだったので、蒸したてのゆばまんじゅうと草もちをいただき、山から下りてソフトクリームを食べて、最後に串カツ屋でこれでもかっ的に串カツを食べました。
はい、やっぱり花より男子のれいちです。
これでご満足でしょうか?いっひっひ
投稿: れいち | 2013年4月13日 (土) 18時46分