« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月26日 (金)

老親

先日、地元の神社のお祭りでした。
B男くんが、わたしの両親を呼んであげようと言ってくれたので、我が家へ招待しました。
こどもたちが小さいころはよく一緒にお参りしたものでしたが、両親にとってはなんと10数年ぶりくらいのお祭りだそうです。

車で迎えに行くと、ふたりとも杖をついてのお出ましです。
母は、『シートベルトが締められへん』と言って、ずっとごねごねしていました。
父は、車から降りるとき『ちょっとふらっとする』と言って、時間をかけて降りました。
おいおい、大丈夫かいな・・・

お宮さんにお参りしたあと軽く露店を見て回って、家に戻り4人でお昼にしました。
話題はやっぱり我が家の娘たちのことになり
『赤いハッピ着てたんがかわいらしかったなぁ』
『お祭りの露店でヒヨコを買うて帰ってもみくちゃにしとったんは、あねこやったかう~じんやったか』(う~じんです!)

Hy

老人と中年の会話でしたが、それなりに楽しくはずみました。

両親は仕出しの松花堂弁当を半分も食べられず、わたしの用意した鯖寿司や鯛そうめんにも少し箸をつけただけでした。
それでも、犬がなつくと言って喜ぶ父

G

なんだかキラキラにジャラジャラしてテンションの高い母

Bb

出会うたびに老いが進んでいる両親ですが、いつまでも元気で仲良く暮らしてほしいものです。

そうそう、お年寄りの間ではNNKとPPKという言葉が流行ってて、NNKは“ねんねんころり”といって寝たきりになって亡くなること、寝込まず元気で突然亡くなる“ぴんぴんころり”の略がPPKだそうです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年4月21日 (日)

帰省中のこと

先日の旅行も含め、数日間ほど帰省していたう~じんと普通の日を過ごしていたわけですが・・・

う~じんのリクエストに応えてわたしが春巻きを作っていると、冷蔵庫をごそごそしていたう~じんが
「この鶏肉使ってもいい?」
と聞いてきました。
春巻きとチキン、ちょっとくどいなぁと思ったけれど、ここで言い合いになるのもめんどうだし、好きにさせることにしました。

スマホでいろいろ調べること2~3分
「決めた、これにしよう」
こうして出来上がったのはチキンの醤油マヨネーズ焼き。
わりと手早くおいしくできていました。
ネットのレシピサイトというものは、若い世代にも確実に支持されています。
料理本をぱらぱらめくって、今夜の献立に悩んでいた若かりしころのわたしとは大違いです。

さて、春巻きとチキンの醤油マヨネーズ焼きでB男くんもご機嫌の晩ご飯のあと、う~じんは積極的にお皿を洗ってくれました。
さらに、最後の方でふら~っといなくなったと思ったら、洗濯物を干していたのです。

あれ?
今までのう~じんと違うぞ・・・
しかも『してやったぞ、感謝しろよ』的な押し付けがましさがなく、さら~っと。
B男くんがこっそりと
「可愛い子には旅をさせよというけれど、可愛くなくても旅をさせなあかんなぁ」
と言いました、同感でした。

帰省最後の晩、こんなふうにしてから寝ました。
これも今までになかったことでした。

Img_20130410_084429

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年4月15日 (月)

沖縄弾丸ツアー その2

2日めは、那覇から南の方を回りました。

ホテルを早めに出て、途中の道の駅で焼きたてパンとコーヒーでお腹を満たし、さあ出発!

Photo

島の南端、糸満市にあるひめゆりの塔

Img_20130408_094944

Img_20130408_095319

沖縄戦末期に、沖縄陸軍病院第三外科が置かれたところに立つ慰霊碑です。
第三外科と言ってもこの塔の手前にある壕がそれ、ここに簡素なベッドが並び、粗末な医療器具で傷ついた兵士の治療が行われ、女学生がその奉仕に駆り出されました。

沖縄県立第一高等女学校の校誌名『乙姫』と、沖縄師範学校女子部の校誌名『白百合』とを組み合わせて『ひめゆり』です。

公園内には『ひめゆり平和記念資料館』があり、こちらも見学しました。
言葉がありません。
手紙や日記、ひとりひとりの最期を記した文と写真を見ると胸がつまりました。

資料館を出たら、青い空と緑の多い静かな空間がとても物悲しく感じられました。
日ごろ当たり前に感じる平和ですが、この犠牲の大きさを忘れてはいけないと、とても真摯な気持ちで公園をあとにしました。

さて、公園を出たところで、沖縄ではポピュラーなアイスクリーム屋さん『BLUESEAL(ブルーシール)』でアイスクリームをぺろり。
フレーバーの種類は多く、南国らしいトロピカルなフルーツ味がたくさん並んでいました。
珍しいところでは、紅芋、さとうきび、塩ちんすこうなどなど・・・

さとうきび畑、う~じんがどうしても写真を撮りたいと言いますので。
まだ背丈が低く若い感じがします。

Photo_12

この日のランチは、糸満市内の『茶処真壁ちなー』という赤レンガの古民家で。

Img_20130408_112905

明治24年に建てられたこの民家は、先の大戦でも激しい戦火の中消失をまぬがれ、現在は国の重要文化財に登録されています。
建具や石壁に残る弾丸のあと。

Photo_5
とってもほっこりする佇まいです。
軒のひさしが深く、建具を取り払った室内は、心地よい風が通り抜けていきました。

Photo_6

このお店は旧来の住宅街の中にあってわかりにくいのですが、ガイドブックに載っていることもあってか、次から次へと来客があり満席でした。

ちなー御膳という伝統料理をいただきました。
見た目とっても素朴で、味付けはどれも薄くて健康的です。
メニューを見ただけではさっぱりわかりません。

Photo_11
モザイクをかけてありますが、食べ物を前にするとつい嬉しそうな顔をするわたし。

Photo_14

さあ、那覇へ戻りましょう。

首里公園の入口、守礼の門
だんだん日差しが強くなってきたので半袖です。

Photo_10

いくつか門をくぐって・・・

P1070664

Img_20130408_131633_2本殿へ
真ん中の道は写真の撮り方が悪いのではなく、もともと斜めになっているそうで、謎です。

P1070673_2

この風景は、中国や韓国の城郭の造りと似ています。
大陸の文化の影響を大きく受けていることがうかがえます。

Img_20130408_131633_3

首里公園の近くの石畳の道、道脇に繁った木々が木陰を作って、肌に優しい午後でした。

Img_20130408_135401
王宮から迎賓館としての庭園、識名園へと続いています、が、わたしたちは途中でギブでした。

Shikinaen01
          (Wikiから借りました)

ここでレンタカーを返し歩いて国際通りへ向かい、お土産を買ってモノレールで空港へ向かいました。

今回の旅行では、う~じんに関していろんな発見がありました。

まず、こういうお出かけでは、プランの段階から現地に行っても何から何まで人任せだった子が、飛行機・ホテル・レンタカーなどすべて事前に予約しておいてくれたことと、いつも人のお財布をアテにしてばかりだったのに、今回はあちこちでそこそこ気前よく支払いに応じてくれたこと・・・です。
強行日程でありながら無事に旅を終えられたことも、その場限りの思いつきで行動するのではなく、ちょっと先を見ていろんな場面を想定しながら日程を進めてくれたからだと思います。
とっても嬉しくて、ありがとうと心からお礼を言いました。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年4月10日 (水)

沖縄弾丸ツアー その1

まとまった休みで帰省したう~じんとふたりで沖縄へ行ってきました。
ただし、諸般の事情で1泊2日、始発で出て翌日のほぼ終電で帰宅するという強行日程です。

折りしも日本列島には台風並みの爆弾低気圧が来ており、花散らしの暴風雨が吹きすさぶ中、那覇空港に到着。
レンタカー会社の人はダウンコートを羽織ってお出迎え、薄着のわたしたちは寒さでぶるぶるでした。

沖縄では、空港と那覇市内の首里公園を結ぶゆいレールというモノレールが通っていますが、島の北部へはバスかタクシーしか移動手段がありません。
今回は、勝手気ままに動きたいからレンタカーを借りました。
いざ出発!

B

那覇市内のスタバ、南国らしい花や樹木に囲まれていてのんびりした雰囲気がただよっています。

Photo

那覇から国道58号線を北上して浦添~宜野湾~北谷へ、ここでランチの予定です。
しかし、目指すお店は臨時休業、仕方なく隣のお店へ行ったら、基地が近い関係でしょうか、外国人の家族連れが多いアメリカンなカフェでのランチとなりました。
『KUPUKUPU』ではテラス席を選びました。

P1070541

空の青、海の青、白い波・・・南国に来たって感じがします。

Kupukupu1

オーダーはりんごのカレーと・・・
爽やかなハーブの香りとりんごの甘酸っぱさが相まって美味。

Img_20130407_125607

りんごのパンケーキ・・・
これでもかっ的にりんごソースのかかったパンケーキは、アメリカンサイズ。
見た目ほどくどくない、ことはない。だって、ケーキの生地にもりんごがごろんごろん入っているのです。
甘いもの好きなわたしはだ~い満足でございました。

Img_20130407_125913

さて、その後は道の駅などをのぞきながら・・・

Img_20130410_185100

タピオカ入り生パッションフルーツジュースに舌鼓

Photo_13

北上して、やっと到着しました『美ら海水族館』

Photo_3

ここには世界最大の水槽があり、それはそれは大きなサメが泳いでいます。
美しゅうございました、とっても幻想的でした。

Photo_2


水族館をあとにしたわたしたちは、森の中のカフェを目指しました。
途中でう~じんがこれを見てみたいとか・・・

P1070630

これにいっちょ絡みたそうでしたが、時間がないので却下。

P1070636

カーナビはかしこいですねぇ、幹線道路から山道に入って「ほんまにこんな山奥にカフェがあるの~?」って半信半疑で進むこと数分、目的のカフェにたどりつきました。

『やちむん喫茶シーサー園』
P1070610

やちむんとは焼き物のことで、店内にも屋根にも焼き物のシーサーだらけ。魔除けと言われるシーサーですが、これだけ置いたら魔物も近づけないことでしょう。
2階席から見える、よく手入れされた庭。

Photo_5

清楚な和風の人

Photo_12

途中にはこんなあづまやもあります。

Cimg0060

ひらやーちーと言うお焼きと挽きたて豆のコーヒー。
ひらやーちーはニラと人参が入っていてちょっとチヂミに似ており、しょうゆベースのタレをつけていただきます。
素朴で香ばしくて、とってもおいしかった。
この旅で一番おいしかったかもしれない。

P1070623_2

さてさて、その後は高速道路で約2時間、那覇までびゅ~~んと帰ってホテルに到着、そして夜の国際通り、居酒屋へと繰り出しました。

                          ・・・つづく

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2013年4月 5日 (金)

今年の桜は哀しい桜

幕末、京都守護職に任ぜられた会津藩主の松平容保が本陣を構えた京都黒谷の金戒光明寺。
わたしの実家のお寺の大本山で、『くろだにさん』と呼んでいたので、金戒光明寺という名前と、幕末におけるこの寺院の役割りについては大人になってから知りました。

Photo_5

ここには、蛤御門の変から鳥羽伏見の戦いを経て戊辰戦争までに戦死した会津藩の藩士の墓があります。
一昨年の秋に訪れたとき、紅葉に少し早い墓地に低く広がる桜の木があるのを見て、いつか桜の季節に来ようと決めていました。

今年の桜は、会津藩士追悼の桜です。

Img_20130331_125519_2

新選組を従え、京都の治安と朝廷を守る任にあたっていた会津藩は、明治政府が樹立されると旧幕府軍として薩摩・長州の連合軍から朝敵・賊軍とみなされ、最後は会津戦争の敗北をもって新政府軍に降伏します。

最後まで徳川家に忠義を尽くそうとした藩主と、時代の波に翻弄され、故郷を遠く離れた地で逆賊として落命した藩士たち・・・ひっそりと咲く桜花に彼らの悲しみを見た気がしました。

あ、そうそう。
桜はひっそりと咲いていましたが、バスツアーの団体さんなど訪れる人は多く、とてもにぎやかな墓地でした。

NHK『八重の桜』の影響でしょうか、ドラマではいよいよ戊辰戦争に突入です。

【おまけ】
この日は、偉人さんのお墓参りが好きなB男くんと一緒でしたので、このあと、金戒光明寺からほど近い若王子山にある新島襄と妻八重の墓へお参りしました。

手前が八重さんのお墓、奥が夫の襄さんのお墓。

Img_20130331_141726

こちらは八重さんの兄、山本覚馬さんとその家族のお墓。

Img_20130331_141801

こちらもドラマの影響でしょうか、イノシシに注意の看板があるちょっと険しい山道でしたが、たくさんの人が訪れていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »