幕末ウォーク ~妄想編~
友人Bちゃんとの幕末をたどるお出かけ、京都で主だったところはほとんど回りました。
池田屋・寺田屋・近江屋・八木邸・前田邸など有名どころはもちろん、禁門の変で長州藩が御所に向けてぶっ放した大砲の弾痕がある蛤御門とか、長州藩が陣を敷いていた嵐山の弘源寺の廊下に残る刀傷など・・・の偏狭な名所も見て触って、うっとりとしてきました。
そしていよいよわたしたちは、究極の幕末ウォークにでかけたのです。
浅田次郎作『壬生義士伝』です。
これは新選組隊士吉村貫一郎という人物を描いた作品ですが、この吉村という人物は新選組の中でもあまり有名ではなく、詳細なプロフィールはわかっていません。
しかし、浅田氏が描く吉村貫一郎にわたしとBちゃんはぞっこん惚れ込んだのです。
彼の最期は・・・
鳥羽伏見の戦いで、幕府軍・新選組総崩れのなか果敢に戦い、満身創痍で伏見から大阪まで淀川を歩き、南部藩の藩邸で切腹して果てます。
この淀川沿いを歩くことにしたのです。
実は、実際の吉村は、鳥羽伏見の戦いに参加していたことまでしかわかっておらず、その後は作者の創作です。
しかし、わたしたちは吉村はきっと歩いた、折れた刀を杖に寒風吹きすさぶ淀川沿いを、ぬかるみに足をとられ、こけつまろびつ歩いたにちげえねえ、と思っているのです。
現在の淀川沿いは、ヨシと桐の木が繁りあうサイクリングロードになっていて、道行く人たちはわたしたちの思いなど知る由もありません。
「どこから歩いて来やはったん?」
と聞かれ
「伏見からです」
と答えるとびっくりされました。
鳥羽伏見の戦いでは、幕府軍だった藤堂藩が急きょ寝返り、淀川沿いの山崎高浜砲台から対岸の幕府軍に向かって砲撃します。
「この川幅なら大砲の弾が届きそうやなぁ、この辺や、きっと」
「あの立派なクスノキは、樹齢200年は越えてそう、幕府軍があの木のもとに集合して態勢を立て直したにちげえねえ」
「吉村貫一郎の命からがらの姿を見ていたな、きっと」
「ああ、吉村ぁ、命より大事なぜぜっこ落とすなよ~」
と、ド真剣に妄想しながら歩きに歩いたり・・・18km。
途中、八幡の石清水八幡宮の門前の茶店で昼餉を取り、わらじの紐を縛り直しました。(え?なんかへん?)
夕暮れが迫ってきたのと、足腰にガタが来たこともあり、この日は枚方の手前でギブアップとなりました。
続きのウォークはまた来月。
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コメント
新撰組の事なら僕にお任せ ふじ です。
18kmものびっくりする距離のウォーキングと
マスクで顔隠した、着ぐるみの全身写真。
おぉ、ちったぁ痩せたのか?
と思ったら、最後にお餅の写真が・・・
来月の続きは、食べ物の写真で溢れてる
なんて事はないよね。
そうなりゃ、身体全身、
見た目がよりいっそうたくましくなっちゃうぞぉ~。
投稿: ふじ | 2013年2月15日 (金) 01時11分
ふじさん
いつまでも寒いですねぇ。
新選組好きですか?
では吉村貫一郎もよくご存知で?
今度レクチュアしてください。
わたしもBちゃんも『ほんずなっし』『おもさげながんす』が通じるほど、吉村フェチです。
さて、この日のお昼は、うどん→走井餅・酒饅頭→たこ焼き、お3時はケーキセットでした。
疲れたカラダに甘いものが沁みましたぁ。
よおく見てください、写真。
お腹のあたりぽんぽこぽんでしょ?あっはっは。
>身体全身・・・よりいっそうたくましくなっちゃうぞぉ~。
はあ?
それがなにか?
投稿: れいち | 2013年2月15日 (金) 23時26分