『東京家族』に思う、平凡であること
昭和を描いた映画が大好きなB男くんに誘われ見てきました『東京家族』
正直、映画館で見るほどの内容ではなさそうやん・・・と腰の重かったわたしでしたが、途中からいろんなことを考えさせられました。
瀬戸内海の小さな島で生活している夫婦、周吉ととみこ。
東京にやって来た彼らは、個人病院を開く長男・幸一、美容院を営む長女・滋子、舞台美術の仕事に携わる次男・昌次との再会を果たす。
初めこそ互いを思いやっていたが、のんびりした生活を送ってきた両親と、都会で生きるこどもたちとでは生活のリズムが違いすぎた。
少しずつ深まる溝…。
そんな状況に寂しさを覚えた周吉は、やめていた酒を飲んで騒動を起こしてしまう。
一方のとみこは、何かと心配していた昌次の住まいを訪ね、そこで恋人の紀子を紹介される。
上機嫌で帰宅したとみこだが、突然倒れてしまい―。
どこにでもありそうな家族の、どこにでもありそうな日常は、見る人によっては物足りなく感じるかもしれません。
そんな平凡が描かれているだけなのに、随所で涙腺が緩むのはトシのせいでしょうか。
こどもたちだって親を歓待する気持ちはあるのに、父親は不器用な感情表現しかできなかったり、タイミングが悪かったり。
こどもたちがお金を出し合って両親を高級ホテルに送り込んだ日、ベッドに腰掛けて窓から観覧車を眺める老夫婦の後ろ姿に「それは違うやろ・・・」と泣けました。
長く離れて生活していると、親子といえども意思の疎通はむつかしく、たまに出会うとおかしな方へ向かう遠慮と思いやり・・・。
結局、結婚したこどもというものは他人と思ってしかるべし、ってことなんですね。
「こどもらが結婚したら、たびたび訪ねて行ったらあかんなぁ」
と、帰り道B男くんがしみじみ言うのがやけに現実的で脱力してしまいました。
ときどき平凡であることをつまらないと感じる日々があります、否、ありました。
しかし、未曾有の大震災や原発事故を経験した今となっては、平凡であることのありがたさは身にしみて感じています。
そんな平凡をここまで普通に描いた作品は、やっぱり秀逸だと思いました。
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