秋の遠足~鳥羽伏見~
新撰組、坂本龍馬などの足跡を訪ねて幕末の京都を巡る遠足も終盤、今回は鳥羽伏見の戦いの舞台となった伏見へBちゃんと行ってきました。
大政奉還後のニッポンはすんなり明治時代を迎えたわけではなく、官位と領地を手放そうとしない幕府軍と、それらの官有化を迫る新政府軍は日本のあちこちで戦闘を繰り返して行きます。
昨日の敵は今日の友、勝てば官軍の風刺格言が示すとおり、正義と信じて疑わなかった自軍が、錦の御旗を掲げた軍の前では賊軍として追われるハメになるという日和見的戦いが戊辰戦争、そのひとつが鳥羽伏見の戦いです。
淀の競馬場の向かい側、千両松東軍西軍激戦の地。
道端にひっそりと、ここで亡くなった兵士を弔う碑。
旧幕府軍は徳川慶喜の側近だった稲葉正邦の淀城を頼って行きますが、錦の御旗に戦意を喪失した淀藩は城門を閉ざして旧幕府軍の入場を拒みます。
このとき、藩主の稲葉正邦は江戸に滞在しており、留守を預かる家老田辺権太夫の判断でしたが、城門を閉ざしたにもかかわらず旧幕府軍の数人が城に入った責任を取って後日田辺は切腹、江戸より帰った正邦は留守の間のいきさつを知り、『自分がいたら他の判断もできたものを・・・』と田辺の死を悼み供養塔を建立します。
さて、鳥羽伏見の後は宇治まで足を伸ばし、平等院へ行きました。
なんとわたくし平等院は四半世紀ぶりでございます。
以前はもっと大きな構えだったように思いますが、建物もお庭も案外小さいものでした。
さあさ、おひるおひる、お昼ご飯です。
宇治茶の老舗、中村藤吉平等院店で茶そばセット。
さて、この日の特記事項はこのおっちゃんです。
わたしとBちゃんが淀城址で石碑文を読んでいると、どこからともなく現れて、それはこういう意味だとか、城壁の石は伏見城からの使いまわしだとか、この神心石は秀吉の息子の病気平癒を願ったものだから城壁には使わなかったとか、とにかくこのあたりの歴史に詳しいことったら・・・。
おかげさまで、このあたりの地理歴史、よ~くわかりました。
実は上記の淀城にまつわる逸話はこのおっちゃんの受け売りです、あしからず。
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コメント
歴女れいちさん、こんばんは。
今回はボランティア・ガイド(??)の
おっちゃんがいたんですのね。
ようございました。
供養の碑といえば、うちの近所にも
日露戦争の時のダレソレの碑とか大昔の
かなり立派なのが
いくつかありまして。
子供のころはようわかってませんでしたが
地元のぼんぼんが出征して行って
帰ってこなかったので
親が供養に建てたんだろうな・・・とそう思うと
切ない親心を感じます。
大昔見たドラマ、「燃えよ剣」
鳥羽伏見の戦いあたりではもう涙なしには。うう。
とっとと江戸に引き上げちゃった将軍様は
ドラマや映画それぞれ様子態度が違ってますが
しかし龍馬伝の慶喜公はなんで眉毛がないのやら???
弥太郎さんの語りが聞けるのもあとちっとになりましたが、
そのあとすぐ「坂の上の雲」なんよね。
あの正岡子規もすごいっすよね、
乗り移ってますわ。
投稿: miyuki | 2010年11月 6日 (土) 19時25分
miyukiさん
ガイドのおっちゃん、公園のあづまやのダンボール地帯から出てきたように見えたのですが、ひょっとしたら由緒正しい歴男なのかもしれません。
何度も何度も話しているうちに、どういうふうに話を持っていったら受けるか、よくツボを押さえてらして、感心することしきりでした。
龍馬伝の慶喜公は眉を落としてらっさるから、マロ言葉を喋るのかと思えばやけに硬派、お公家さんへの憧れがそうさせたのかもしれません。
ああ、もうすぐ終っちゃいますね。
寂しいなぁ。
そうそう、龍馬を暗殺する刺客の役は立候補者が続出の中、ようやく決まったそうです。
それが、弥太郎の従兄弟にあたる歌舞伎人らしいっすよ。
それでね、今夜は長崎芸者お元ちゃんが主演の映画を見て来ました。
不覚にも別れの場面で涙がこぼれましただ。
お元ちゃん、キャラ作りがうまいっす、感心。
『龍馬伝』の主題歌歌ってるイタリア人歌手、紅白に出ないかなぁ。
(やっぱり、すっかり当たった気でいる)
投稿: れいち | 2010年11月 7日 (日) 01時09分
私「龍馬伝」見ていないので、話についていけないのですが、すんません。今日のテレビ欄見て大笑いしました。
今日放送分のタイトルが、「龍馬の休日」だって~。 真木よう子ちゃんが、オードリー・ヘップバーンに見えてきました。
平等院へは、小学校の修学旅行で行きました。懐かしいですね。
どこかと掛け持ちで行くにはちょっと行きにくいかなぁと、その機会がありません。もう一回、行ってみたいなぁ。
(科挙試験、完成しましたでぇ。答え合わせしましょうや)
投稿: みや | 2010年11月 7日 (日) 22時48分
偶然・・かな? ふじ です。
京都に行ってたって?
いやぁ~、偶然だね。
先週の日曜10/31は、僕も京都やったんやで。
娘の十三参りで、嵐山の法輪寺でお参りしてた。
って、れいちさんが行ったんは、日曜じゃないんだろうな。
その日の京都は、雨が降ってたし
それに、写真の木陰にいつものが写ってない・・
うんっ?
まてよ。
よく見ると、顔らしきものが・・・
あれは、誰や??
投稿: ふじ | 2010年11月 8日 (月) 19時14分
みやさん
『龍馬の休日』わたしもテレビ欄見て、口に出してつぶやいたのに気がつきませんでした。
もう、爆笑です。
お龍が髪を切って、ふたりで馬に乗って街の中を逃げ回り、舟の上で踊りの宴にでも参加してたらおもしろかったのに、ね。
NHKもやるなあ。
わたしも小学校で平等院へ行きましたが、修学旅行ではなくて5年生のバス遠足でした。
奈良と宇治。
それがさぁ・・・
クラス別に観光バスに乗って移動していたんだけど、奈良の猿沢の池に着く前に女の子がひとりバスに乗っていないことがわかって、先生たちがあわてて東大寺に戻りました。
そしたらなんとその女の子は他の学校のバスに乗って猿沢の池に到着。
詳しい事情は教えてもらえなかったけど、多分迷子になってた女の子を他の学校の先生が見つけ、多分次は猿沢の池だろうと推測して乗せてきたものと思われます。
その後、平等院でした。
当時は歴史も詳しく習ってなくて、なんとなく見学して写真撮ってもらって、お弁当食べて帰って来たとしか記憶がありません。
答え合わせ・・・
あかん、まだまだできてません。
みやさん、全部読めたの?
『蒼穹の昴』は図書館で借りて読んだから手元にないし、『珍妃の井戸』は売っちゃったし、『中原の虹』はあとちょっとまだ読めてないわ。
出来たら改めて連絡します。(今月中か・・・厳しいな)
以上、張作霖loveのれいちでした。
投稿: れいち | 2010年11月 8日 (月) 22時03分
ふじさん
お嬢さんの十三参り、おめでとうございます。
お習字、一文字書いてきましたか?
いよいよ大人の仲間入りですね。
実は、うちらが宇治へ行ったのはもうちょっと前でした。
ひっさしぶりに宇治へ行って思ったことは、嵐山に似ているってことです。
宇治川と桂川の風情、橋の欄干、お店の感じもよく似ています。
え?
怖いもの写ってないっすか?
桜の木の弾痕や神心石を指差している手が写っているとか?
それ、ふじさんちのPCだけに写っているのかも、よ。
ふふふ・・・
投稿: れいち | 2010年11月 8日 (月) 22時24分
>みやさん、全部読めたの?
うひゃひゃ。
読めても~たわけないですがな。
「中原の虹」3・4巻を買うついでに、「マンチュアリン・リポート」を超斜め読みで3問こなし、買わずに帰りました。
只今「中原の虹」2巻の三分の二ほどです。
「マンチュアリン・リポート」以外は手元にあるので、ほぼ完ぺきか?
でもこのペラペラの紙で送って、大丈夫なんでしょか…。
投稿: みや | 2010年11月 8日 (月) 22時32分
みやさん
え~?
中原の虹も全部読めてないのに問題はできたん?
すごいなぁ。
わたし、張作霖(総ランパ)にぞっこんです。
めっちゃかっこいいんです。
でも『マンチュアリン・リポート』って、張作霖爆殺事件が主題なんでよね?
ああ、総ランパはココロザシ半ばで死んじまうのか、うっう・・・。
wikiで張作霖を見てきてください、童顔ですよ。
そして長男の張学良へ飛んでみて、お父さんにそっくり、ぷぷぷ・・・。
投稿: れいち | 2010年11月 8日 (月) 23時29分
訂正です
マンチュアリン・リポート→マンチュリアン・リポート (恥)
全部読まなくても、関係分だけ探し出して、解答するという手があります。
読むのは後ほどゆっくりと。
投稿: みや | 2010年11月 9日 (火) 14時22分
みやさん
『マンチュリアン・リポート』って『満州報告書』ってことですよね?
満州とか奉天ってすごい美しい町だった、レンガの建物と街路樹と豊かな食材が揃っていた、って聞いたことがあるけど、本当に整備された美しい町だったようですね。
ただ今、わざわざかの国へ行こうとは思いませんが、紫禁城や、張作霖が目指した長城超えの長城など見て見たいわぁ。
しかし、浅田次郎やんにはやられっぱなしです。
さあ、科挙がんばろう!!
投稿: れいち | 2010年11月 9日 (火) 23時06分