翌日は、朝からバスで島内観光です。
この島は、16世紀にマゼランによって発見され、彼の探検のスポンサーであったスペイン王室の王妃の名前から『マリアナ島』と名づけられました。一般的にはサイパンと呼んでいますが、正式には北マリアナ諸島の中心的な島がサイパン島です。
その後ドイツが安価で買取り、流刑地として使っただけで、第一次世界大戦で勝利を収めた日本が統治することになったのです。
当時、主要な産業のなかったこの島で、勤勉で器用な日本人は試行錯誤の末にサトウキビの栽培から精糖に成功、工場で働く島民の生活は安定したものとなり、日本からの移住者が増えて経済的にも潤う楽園となりました。
しかし、第二次世界大戦では、侵攻してきたアメリカ軍との地上戦の激戦地となり、島のあちこちには今なお戦争の傷跡が多く残っています。
バンザイクリフ
捕虜になるより自決を選び、たくさんの日本人が飛び降りた島の最北端、慰霊碑が並んでいます。
ラストコマンドポスト(旧日本軍司令部跡)
このあたりのジャングルは立ち入り禁止、戦死した兵士の遺骨が残っており、毎年日本から多くの方々が遺骨を集めに行ってるそうです。

慰霊碑のある公園の戦車と砲台

バードアイランド
島の東側は太平洋となり西側のフィリピン海と全く違う波の色
サトウキビ農園と製糖工場を往復した列車
ヤシの実ジュースを飲んだあとは、実を割ってくれてわさび醤油で食べるヤシの実(写真右下)ヤシの皮をヘラにして食べます、ジュースより美味。

こうして、島内観光は2時間あまりで終りました。
旅行では、気ままに行きたいところへ行くのもいいものですが、現地のガイドさんの話を聞きながら名所を回るのも好きです。
例えば、ちょっとした裏話・・・
「このホテルは芸能人がたくさん利用します」
「野球選手がキャンプに来ます」
な~んて情報も入ってきますし・・・。
午後からは海でぴちゃぴちゃと遊んで・・・実はわたしもあねも海が嫌い、足に海草が触れるところは怖いのであります・・・よって、もっぱらプールで泳いだりお昼寝したりしました。
それにしても日本のプールサイドでは取り合いのビーチチェアが、ここではたっぷり余っています。日本人は日焼け止めを塗りたくって水に入ったり出たりを繰り返してますが、欧米人はじっとしたまま、眠ったり本を読んだりしながら思い切り肌を焼いています。
旅行会社が専用スペースを確保しておいてくれたけど、陽射しよけもチェアもたくさんありました。ヤシの葉で葺いた屋根の下に入ると暑さは感じません。
落ちてきたヤシの実を割るあね、しかし繊維がびっしりで簡単には割れない。
やっぱりプールサイドが好き。
サイパンを代表するプルメリアという花です。
やや肉厚で開花時期が長く、とてもいい香りがします。これは昨日のスパでお風呂にたくさん浮かべられていたり、マッサージオイルの香料としても使われていました。
甘く爽やかな香りを深く吸い込むと、身体のすみずみまできれいなものが行き渡るような気持ちよさです。
こちら『プルメリアの伝説-天国のキス-』という映画です、余談でした。
昨日のマッサージが気持ちよかったので、この日も宿泊しているホテルのスパとマッサージを夕方に予約しておきました。
『イサグア・スパ』でのイサグアとは水の循環という意味で、地元の自然療法士の知識をベースにした代々島に伝わる方法で行われるマッサージです。
ここでもプルメリアの香りのするオイルがふんだんに使われていました。
ちょっと日焼けした肌をすべすべもみもみしてもらうと天にも昇る気持ちよさ、やっぱりよだれ垂らして寝てしまいました。
ああ、気持ちよかった。
このまま居ついてしまいたいけどそうもいかず、次の日の早朝、わたしたち母娘はカメラに写真を、スーツケースに思い出をたくさん詰めて帰って来たのでした。
最近のコメント