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2008年5月 9日 (金)

剣豪の里、柳生

奈良県北部、木津川を挟んですぐ北は京都というあたり、柳生の里を歩いてきました。

柳生新陰流開祖の柳生宗厳(むねよし)の出身地であり、今も道場や屋敷跡、墓所などが大事に保存されている、知る人ぞ知る剣豪の里です。

柳生宗厳の息子、柳生宗矩(むねのり)がこの剣の流派を完成させるや、徳川幕府の剣術指南役として要職に就き、その息子、三厳(みつよし)は柳生十兵衛として父を助け、その弟に僧の列堂がいます。何の映画かドラマかは忘れましたが、柳生宗矩と言えば山村聡を思い出し、十兵衛三厳は千葉眞一が強烈で、列堂和尚は高橋幸治が秀逸でした。

00000421013l_2  ドラマ『子連れ狼』では、公儀介錯人として剣の達人だった拝一刀(おがみいっとう)が、将軍家の剣術指南役だった柳生宗矩から疎外され、挙げ句一族を皆殺しにされるものの、唯一生き残った息子の大五郎とともに柳生に復讐するため、殺し屋をしながら全国を渡り歩くという筋書きでした。余談ですが、最愛の妻あざみが柳生の襲撃を受けたとき大五郎はまだ母の胎内、一刀が帰宅したときへその緒をつけたまま母の亡骸のそばで産声を上げていたという悲惨さです。I10b_2 このドラマでは拝一刀が主人公ですからカレは正義の人、そして柳生列堂はしつこくあらゆる手段を使って拝一刀父子を狙う悪の人として描かれており、当時わたしの中で柳生一族はいい印象がありませんでした。

ところで、うちの娘たちは小さいころから剣道を習っていました。指導者の先生方は十数人おられ、どなたも柳生の里に十兵衛の時代から綿々と続く“正木坂道場”での合宿稽古の経験者です。特に代表の先生は正木坂道場から帰ってくるとナニかを悟るらしく、講釈が哲学的になり、親たちはその内容を租借してこどもたちに理解させなければならないのがやや難儀だったものです。余談ですがこの先生は宮本武蔵にも心酔しておられ、最近では国内はもとより海外にも剣道の技と精神を説いて回る仕事をしておられます。

ということで以前から興味のあった柳生の里をB男くんとふたり、例のごとくぜいぜいはぁはぁと散策してきました。

Img_5032 秘境の里ですからこういうトンネルをいくつかくぐり、離合困難な細い路をくねくねと進みます。Img_5033 毛虫群が大挙して道路を横断する中、わらび採りの他府県ナンバー車の横着な駐車に憤慨しながら真っ黒なヘビの歓迎を受け到着しました。市営の駐車場に車を預けるとイラストマップが頂け、これを頼りに歩きます。

Img_5035 その性格が粗暴かつ豪放だったと言われる列堂が、京都大徳寺で修行を積んだ後帰郷して開山した柳生一族の菩提寺、芳徳寺。Img_5037

寺に付随して小さな資料室があり、掛け軸や鎧などがお茶目な展示の仕方。なぜかわたしの好きな寒山十得の絵もありました。

Img_5041寺の裏側へ回り山の中を進むと、柳生一族の霊が祀られている墓所があり、B男くんは何枚も記念撮影をしておりました。 Img_5045

目下、この世以外のものが写ってないか精査中です。

芳徳寺から坂を下る途中に剣士の聖地、正木坂道場があります。  ここは観光ポイントではないので案内板など出ておらず稽古中でない限り閉まっています。Img_5050_2 わたしたちのほかにも何人か、記念撮影する人がおられ、なぜかみなさん看板のかかったこの柱を叩いたり愛しそうに撫でたりしていました。 造りは鉄筋のようですが正面玄関や細部は木が使われていて美しく、十兵衛のころにはここで一万数千人が修行したと伝わるだけあって、大きく厳かです。Photo_4

さてここから山道を往復約1km歩き、宗厳が修行中に天狗と闘い天狗と思い剣で切ったところ、次の日見に行ったら天狗と見えたのは実は岩であり、その岩の真ん中が剣で切ったように割れていたという伝説の一刀石を目指しました。Img_5057_2 険しい坂道あり、のどかな茶畑あり、幽谷の岩重ねあり・・・ほほ~っ、なるほど見事にスパッと真ん中あたりで切れております。その大きさは横が8mあるそうです。

この辺でお腹が減ってきました。Img_5064 食事ができそうなところといったって、近くには一ヶ所しかないことは確認済みです。その名もずばり“柳生茶屋”は、いたって素朴な造りとメニューで、この店の名物である赤米・黒米の茶がゆをいただきました。 ちょっと小豆のような匂いがして上に浮かせたゴマ入りのお餅ともどもひなびたお味です。こういうところでB男くんは必ずソフトクリームを食べます。 Img_5063_2 この日も黒豆ソフトを買って歩きながら食べていました。

あれ?ちょっとお天気が崩れてきたような・・・Img_5069_2 残りの観光ポイントはさっさと回りましょうということで、家老屋敷・・・と思ったらこっちは実際に住んでおられる家でして、 旧柳生藩家老屋敷はもうちょっと先でした。

こちらの内部は典型的な資料館で、スピーカーから説明がエンドレスで流れています。 資料館だから何がしかの資料を展示しなくてはならImg_5074_2 ないという気持ちはわかりますが、建物自体が由緒あるものなのですから、柳生宗矩の生涯を描いた1971年のNHK大河ドラマ“春の坂道”時代の萬屋錦之助・倍賞美津子のポスターや埃をかぶった編み笠などは要らないのでは、と思いました。

近くの中学校は柳生中学校という名前で、稽古を終えた中学生が出てきました。どことなく強そうです。垂れネームに“柳生”と言う文字が入っているのに、試合でコテンと負けたら格好悪いし、ここの剣道部もタイヘンでしょうねぇ。さすがに道場は立派でした。Photo

ああ疲れた、よく歩きました。お土産物屋さんはなし、あちこちに干し椎茸や筍、わらび、ふきなどが無人販売されているくらいで、観光地化されていないのが心地よく手付かずの自然を満喫できました、しとしとぴっちゃん。

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コメント

ご夫婦仲良しさんでいいですねえ。へへ。

千葉眞一氏が十兵衛だった映画およびドラマは
「柳生一族の陰謀」ですわなあ、懐かしい。
映画では萬屋錦之介氏、ドラマでは山村聡氏が
宗矩だったんです。
当時まじめに見たと思うんですが、内容は。。。
スッカリ忘れていました。とほほ。
「子連れ狼」然り。
最近北大路欣也氏が演じたのを見ましたが、
萬屋さんのが懐かしいですわ~。
烈堂は、なんたって、佐藤慶氏ですわ~~(うっとり)

緑の山道、元気に歩けて羨ましいです。げほげほ・・・
写真拝見しただけでもすがすがしい気分になりました。

あ、ところで、ウチの庭の野放しの花ですが・・・
敷地がもともと畑で肥料でも効いていたのか
毎年健気に咲きますがな・・・
伸びすぎた枝を植木屋さんが
最低限間引いてくれるんですがこれをしないと
鬱蒼と茂ってしまうかも、です。

投稿: miyuki | 2008年5月10日 (土) 02時40分

miyukiさん
丑三つ時のご訪問ありがとうございます。

そしてまた・・・
『昭和の映画・ドラマを語る』というカテゴリーの新設を検討しておられる(あれっ?)だけあって、その道への造詣がお深いですなぁ。

そうですか、萬屋錦之介は映画で宗矩をやってらしたんですか、ふ~む。
ライバル潰しに関しては・・・
   宗矩は好々爺ってイメージながら総指揮官
   十兵衛は無頼者に身をやつした隠密の実行犯
   列堂は情け容赦なく計画を立てる参謀
って感じです。

>烈堂は、なんたって、佐藤慶氏ですわ~~(うっとり)・・・
そうでした、佐藤慶版も見ましたわ。
『柳生一族の陰謀』だったかと思いますが水戸黄門様でお馴染みの西村晃さんが真っ白の総髪で不敵に笑う列堂っちゅうのも覚えておりますだおかだ。
高橋幸治♥(←おいおい!)は、NHK大河での信長からのファンでして、えへへ・・・。
小さな声で・・・このときの秀吉は緒形拳サン、この人もらぶ♡
それはいったいいくつの時に見たんだ?ってハナシですわなぁ、あはは

庭木は間引きと剪定、これに尽きますねぇ。
うちは剪定の時期が悪いのか、もともとの土が悪いのか、さつきの花のつきが悪いです。

投稿: れいち | 2008年5月10日 (土) 11時29分

reiさん こんにちは
新緑の季節にご夫婦で散策、いいなぁ~と思いつつ柳生に
反応して出て来ました。大人になってからはテレビ自体
ほとんど観なくなったのですが、子どもの頃、大河ドラマが
大好きでした。柳生と言えば「春の坂道」の萬屋錦之助(宗矩)、
原田芳雄(十兵衛)が一番印象的です。
これまで小さな資料館の仕事も多かったので「旧柳生藩家老屋敷」
行ったことはありませんが、そのよくありがちな雰囲気、
手に取るように理解出来ます。その仕事も残すところ10日余り、
怒濤の引き継ぎも終わりつつあり、ほっとした反面少しの感傷に
浸っているところです。

投稿: kaoru | 2008年5月10日 (土) 17時19分

れいちさん、仲の良いお二人が目に浮かびます

私も、25年ほど前に歩きました
最初は気が付かなかったんですが、あの二つに割れた岩で思い出しました
もの凄く疲れた記憶があります
お昼に何を食べたかなんてぜんぜ~ん憶えてないけど・・・・
確かに歩いてます!写真でも探した見ようかな?

大河ドラマは、父が見ていたので見ているはずですが・・・
おまけに「春の坂道」は」、本でも読みました・・・が・・・ほとんど憶えていない・・・ボケたかも・・
最近はお隣の歴史ものを見たりはしてますが・・・

それにしても、新緑の中の優雅なお散歩、お疲れ様でした
れいちさんは「妻の鑑」でもあったんですね~
「見習いたい」とは思っています~

投稿: シン | 2008年5月10日 (土) 19時56分

kaoruさん
      ↑不二家にこういうチョコあったなぁ
この資料館は、モト家老屋敷ですが、その後持ち主が替わり作家の山岡荘八氏所有の時代もあったそうです。『春の坂道』はここで執筆されたとかで、原稿や本も展示されていましたが、陽に焼けていてみすぼらしい(関係者のみなさん、すみません)感じがしました。

入り口前にお決まりの記念写真用の顔切り抜き看板、そしてポスターがべたべた、すでに開催期間の過ぎたイベントのお知らせ、もうなんでもありでした。
写真撮影は自由みたいでしたがどこへカメラを向けてもポスターが写り、ようやくこの一枚が・・らしく撮れました。

それにしてもkaoruさんのお仕事はおもしろそうですね。大小展示館の企画からミイラの梱包までするんでしょ
それももうすぐ終わりですか、お疲れ様でした。
今後は娘さんと二人三脚、頑張ってくださいね。

投稿: れいち | 2008年5月10日 (土) 20時43分

シンさん、こんばんわ
へ~ここへ行かれたんですか。
たぶん当時とあまり変ってないんじゃないかと思いますよ。
景色も人ものどかな感じでした

わたしの日本史のバイブルは山岡荘八氏の『徳川家康』文庫本全26巻でしたが、たまたま主人もハードケース13巻を持っていましたので、わたしの方の文庫本は愛着がありましたが・・・売りました。
ここから興味のある人物・時代へと読書の対象が広がっていって、特に下剋上の時代にはのめり込んだものでした。

さてさて・・・
わたしもNHK大河ドラマとあちこちのドラマがごっちゃになっていて、萬屋錦之介が宗矩だったり十兵衛だったり徳川だったり、もうめちゃくちゃです、とほほ。

貴婦人倶楽部のシンさんは25年前、どなたと柳生の里を歩かれたんでしょうか、おほほそちらからだと当然お泊りでしょう?興味がありますわ。

投稿: れいち | 2008年5月10日 (土) 21時02分

れいちさん&B男さん・・・ホントに仲良しさんですね~
これなら、老後の生活も安泰かな?
子供は、いつか親離れするものですからって、
早々に家を出て行った私が言うと、妙にリアル?^^;
れいちさんも、心の準備をしておいた方がイイですよ~^^
ある日突然「結婚します!!」な~んてコトも・・・

しかし、ソフトクリームを食べる、太めの伊武雅刀って・・・ムフっ
そうそう、ウチのB男は「柴田恭兵似」だとよく言われますが、
私はよく知らないんですよね~^_^;
B男も、かなり年上のヒトに似てるって言われて、
ちょっとフクザツみたいです^m^
が、画像を見てみると、ご本人の方がじぇんじぇん男前ですぅ~笑
色黒なところと、体形はソックリかも・・・

実は、昨日は父の3回忌の法要だったので、
ちょっとブルーモードなM子デス(T_T)
で、こんな時間に、れいちおばちゃんのところに、
遊びに来てしまいマシタ。
まだ、眠れそうにナイので、キャプ撮りでもしよ~かな~笑

投稿: mojo | 2008年5月11日 (日) 03時07分


柳生の里めぐり。
大人だけの小旅行となると、こういうトコになるのか。
これを夫婦で楽しめる ってのが
渋くって素敵ですね。

僕達夫婦も真似できるか・・
うぅ、なんだか自信なし

投稿: ふじ | 2008年5月11日 (日) 06時23分

れいちさん、おはようございます 

本部長が、「そちらからだと当然お泊りでしょう?興味がありますわ。」
なんて言われると・・・・ですが!
私、正統派実力のない「貴婦人クラブ」会員としましては、もちろん結婚後の主人といっしょでした
主人は関西圏で生まれていますので・・・
期待を裏切ってます~~~


投稿: シン | 2008年5月11日 (日) 08時56分

うう~っ・・よーわからん。
柳生と聞いても、「なんか、悪いヤツ?」、もしかして忍者の元締め??くらいの印象しかない私。
それも、いったい何に基づく印象かも不明。
多分に間違った印象なのかも・・・
みんな、ごめんねぇぇぇ。

しかし私もこういうあまり観光客のいない自然の中というのに最近惹かれつつあります。
歴史探訪の旅というのもよいかも、よいかも。。。。

投稿: 湖知流 | 2008年5月11日 (日) 11時14分

mojoちゃん//
こちらやっと晴れ間が見えてきました。

先ほど実家の母にプレゼントを持って行き、持って行った以上に色んなもの貰って帰ってきたから、太目の伊武雅刀はその中からごそごそ母手作りの揚げせんべいを取り出して、食べながら野球(VS横浜だぜぃ)を見ています今日は朝から仏壇にご飯をお供えしてました。
なんとなくその背中が寂しそうです。

>柴田恭兵・・・
今でこそあまりメディアで見かけませんが、若いころは出まくりでした。ぴっちぴちのジーンズに革ジャン、リーゼントってイメージです。歌も歌っていたんじゃないかなぁ・・・。
伊武雅刀と柴田恭兵、共演してたら見ものですね、ふふふ。

mojoちゃんとネット上で初めて知り合ったころは、まだお父様が亡くなられて間がなくて、ときどき凹んだコメントいただいてたんでしたね。

最愛の人って・・・
亡くなっても、遺されたものが心の中にその人の居場所を作って一緒に生きているって思えばいいって、どこかで読みましたよ。
うちでよかったら、いつでも来てつぶやいていってね~

投稿: れいち | 2008年5月11日 (日) 15時26分

ふじさん
>大人だけの小旅行となると・・・
“シルバー”じゃなく“大人”と言ってくれてありがとう。

柳生にはもっと“大人”なご夫婦がたくさんおられましたよ。杖ついていたり、坂道では歩きかねている方も・・・。
でも足が痛いからって出歩かなければ余計に歩けなくなるし、元気な“大人”になりたいものです。
あと、バイクの若者もけっこういました。
ヘルメットをとった女の子の長い髪がはらりと風に舞う・・・こういうのお嫌いですか?(お好きです)

お宅は今、上のお嬢ちゃんはだんだん付いてこなくなり、下のお嬢ちゃんだけ付いてくるという、ちょっと境目の時期でしょうか
心配しなくても下の子の自立は早いですよ~さびしいぞ。。。

投稿: れいち | 2008年5月11日 (日) 15時37分

シンさん
な~んだ、そういうことだったんですか、ああびっくりした
シンさんが
・・・わたしその昔はけっこうなワルだったのよ・・・
なんて言ったらどうしよう、貴婦人倶楽部から破門だなぁとか思っていましたよ。

ご主人、関西の方ですか、それはそれは親しみを感じます。
お墓参りなどもされますか?
薄口醤油なるものはお使いになりません?
お雑煮の味付けで喧嘩になりません?
阪神巨人戦とか秀吉か家康かとか早慶戦か同立戦かとかで旦那様は孤立しませんか?
あと、ヤッてからシャワーか、シャワーしてからヤルか・・・おっと指がスベった。
あはは~

投稿: れいち | 2008年5月11日 (日) 15時49分

湖知流さん
晴れてきましたねぇ。
山の緑が一段と濃くなってきました。
伊吹の山並みもさぞ美しいことでしょう

わたしも柳生に関してはいいイメージがありませんでした。なんせ子連れ狼と「ちゃん!」しかセリフを言わない大五郎を追い回すんですから。
あれだけ読書をされる湖知流さんでもご存じない分野があるとわかってちょっとホッとしてます。

しかし、信長、秀吉、家康・・・歴史上の大物が同じ時代にこのへんで生きていたと思うとなんだかすごいことですね、ああ安土城も茂っていることだろうなぁ。。。

うちのB男くん・・・
最近歴史上の人物のお墓を見ることに興味が湧き出したようで、こないだも本能寺で信長のお墓にお参りしてました。サムライってお化けになって付いてきたら怖いじゃないですかわたし小学生のころに『耳なし芳一』を読んだときの恐怖はまだよくよく覚えていますから。気持ち悪いことに凝りだしました、とほほ。

投稿: れいち | 2008年5月11日 (日) 16時05分

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