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2008年3月 1日 (土)

教えの庭にもはや幾くとせ

どうもわたしは・・・記念式典とか節目の行事とかの前では、とても真摯になるタチのようです。

きょうは、うーじんの高校の卒業式でした。                            小雨がそぼ降る校庭、渡り廊下を吹く北風、足元から冷えが上がってくる体育館、ありきたりな光景でしたが、どれも自分の卒業式を思い出すに充分、おまけに教頭はわたしの高校時代の恩師です。下地は充分すぎるほど整っており、式の開始前からひたひたと胸に迫り来るものが・・・ありました。

Photo 式次第どおり校長の挨拶や来賓の紹介が続き、在校生送辞・・・この辺まではよかったんです。ありがちな美辞麗句でしたが、来年度の生徒会長の2年生男子は思い出をいくつか取り混ぜて淡々と、でも心を込めて贈る言葉を読み上げました。                                                 そして、卒業生代表の答辞の段になり、ステージ横の壁にこの3年間の写真が次々映し出されると、答辞を読む女の子の声は震え出し、父母への謝辞を語ろうとするのですが                    Photo_3「毎朝なかなか起きないわたしに何  度も声をかけて起こしてくれた」                                    「ただいまも言わず不機嫌に帰宅す  るわたしをいつも温かく迎えてくれ  た」                                  「進路のことでは一緒になってとても  心配してくれた」                                      これらの言葉を並べるのがやっと、当然保護者席ではハンカチを使う人が出始めました。

わたしはというと、恥ずかしながら滂沱の涙がつつ~っと、先日来の情緒不安定気味な気持ちに拍車がかかった格好となりました。スピーカーから聞こえてくるのは、卒業生を代表した子が述べている言葉ですが、その一つひとつがうーじんからの言葉に聞こえて、今までのわがままや反抗的な態度も、なんてことないさ!というような気分になってしまいました。                                                    3年の間に退学した子が12人いるそうです。病気できょうの式典に出られない子もいるそうです。いろんなことがあったけど、わが娘が無事にこの日を迎えられたことに心から感謝しました。

Congr_3 ←クリックすると、次々写真が変わります。

 そのうち勝手に 止まります。

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コメント

うーじんちゃん、ご卒業おめでとうございます
記事を読んでいて、私もついうるっとしてしまいました。
うちも朝はなかなか起きてこないし、学校でなにか嫌なことがあると「ただいま」も言わないし(長男)。卒業のときにそれ言われたら、多分号泣です

>病気できょうの式典に出られない子もいるそうです。
元気に学校に通ってくれて、元気に卒業してくれることって、実は当たり前のことじゃないのかもしれませんね。
弥生3月・・・・毎年ながらいろいろ感慨深い月で、私は好きです。

投稿: tartan | 2008年3月 2日 (日) 10時24分

うーじんちゃん、れいちさん、
高校ご卒業、おめでとうございます。

学生時代って「期間限定」なんだって、過ぎてから
しみじみ心に落ちることなのね。
大人になってから高校に入る人もたくさんいますが、
そういう人にとってももちろん、学校に通う時間は
期間限定。
もっとだいじにすればよかったな、とか
がんばったから、今の私には精一杯。悔いなし。・・・とか、
卒業の時には自分なりの思いがそれでもたくさん渦巻いていたなあ・・・と思い出しました。

投稿: miyuki | 2008年3月 2日 (日) 13時00分

tartanさん
ご無沙汰です、お元気でしたか?

会場ですすり泣いているお母さん方大なり小なりこどもとのバトルがあったと思われ、しかしこの答辞ですべてちゃらにされたような気がしておられたと推察できます。
こどもってそういうチカラを持っているんですね、もうマイッタマイッタです。

tartanさんとこのチャン兄はたしか、小さいとき生死の間を彷徨ったんでしたね。ほんと、無事に大きくなったありがたみ、こんなときでなければ噛みしめられません。
亡くなった主人の母はよく
「こどもは大事に大きぃせなあかん」
と言ってました。
2歳でこどもをひとり、病気で亡くしている人ですから、無事でいることを当たり前と思ってはいけないと言いたかったんでしょうかねぇ。

>>病気できょうの式典に出られない子・・・
これはうーじんのクラスの男の子で、小さいときから抱えている病気があって、最近それが悪くなったらしいのです。
医学系の大学に進学が決まってて、卒業アルバムでも屈託ない笑顔です。どうかよくなってほしいと心底願っています。

チャン、チャン兄・・ちょっと難しいお年頃にさしかかってきましたね、大事に大きぃしてくださいや

投稿: れいち | 2008年3月 2日 (日) 17時04分

miyukiさん
なんだかちょっと寂しい季節です。

高校行ってる間はまだまだわたしの手のひらでもがいているって感じがしていましたが、壁にかかった制服を見ると
「もう着ることはないんだな」
ってしみじみしたり、スヌーピーのお弁当箱は毎日食器カゴかテーブルの上かに置きっぱなしになっていたのに
「これも戸棚に片付けなければ」
とか・・・。

>しみじみ心に落ちることなのね・・・
この言い回し、いいわぁ
大人になって何かの拍子に、心の隅っこ、ちょっとしたスペースにコトリと小さい音を立てて、入り込んできた感傷・・・って感じ。
もう戻れないんだ、もう大人なんだ、とちょっと寂しかったりして。

松任谷由美の“卒業写真”が浮かんできました。
  話しかけるように揺れる柳の下を
    通った道さえ今はもう電車から見るだけ
ここのフレーズがとても好きな乙女でした、はぁ

投稿: れいち | 2008年3月 2日 (日) 17時21分

れいちさん、こんにちは。 
うーじんちゃんのご卒業おめでとうございます
私も読んでるだけで涙が…
2週間後の本番では号泣必至です

やはり下の子の卒業というのは特別ではないですか?
上の息子の時は『よくぞ育った!』という気持ちでしたが
下の娘の場合は、巣立っていくのがとにかく寂しくて… 
もうすぐ来る新品の制服を、複雑な気持ちで眺めることでしょう。
身長などとっくに母を越えたジャンボ娘ですが、
いつまでたっても子供は子供。
ビデオを撮るのはほどほどにして、
しっかり晴れ姿を目に焼き付けてこようと思います

投稿: スワロ | 2008年3月 3日 (月) 11時31分

ご卒業おめでとうございます。
れいちさんのコメントのお弁当箱も戸棚に・・とか制服ももう着ないのだなあ・・とかを読んでて、わたしもウルウルです。
でも、ホントに無事にこの日が迎えられるって幸せなことなんですね。

親も子も一つの節目なんだなあ・・・

投稿: 湖知流 | 2008年3月 3日 (月) 11時44分

スワロさん、いらっしゃいませ
お宅もお受験お疲れ様でした。

うちでも上の娘のときはやけにあっさりした卒業式で、「あ~、終わった終わった・・・」ってなもんでした。
3年間、特にややこしいモンダイもなく、フツーに卒業式を迎えた子でしたから。
しかし、下の娘は違います
生活面、成績面、いろいろと手を焼かせてくれましたので、卒業の日の感慨もひとしおでした。
あほなヤツほどかわいい、というのはこのあたりを指しているのかもしれません。

卒業式、こどもが学校を卒業するのと同じく、母も色んな感傷から卒業です。

スワロさんとこのお嬢ちゃんは、中学で地元を離れるのですから、寂しさも大きいでしょうね。しっかり泣いてきてください。

ところで・・・
>身長などとっくに母を越えたジャンボ娘ですが・・・

小学生ですでにお母様を越しているって・・・ひょ~~

投稿: れいち | 2008年3月 3日 (月) 18時28分

湖知流さん
制服、お弁当箱・・・
制服のブラウスにアイロンすることも、もうないし、お弁当も要らなくなります。

底の方にはナニが入っているのかわからない、恐ろしいほど汚いカバン。
かかとの外側がやや磨り減ったローファー。
ペンギンやねずみが刺繍されたハイソックス。
これらももうお払い箱ですわ。

夕べはうーじんとふたりで卒業アルバムに付いていたCDを見ました。
写真のスライドでまたひとしきり盛り上がりました。
入学式のころと全く違う顔の人がいっぱいいましたから。
このCD、カンタンにプリントできるようになっていて便利です。
好きな子の写真も堂々と手に入りますもんねぇ

投稿: れいち | 2008年3月 3日 (月) 18時42分

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