« 今でも怖いもの知らず | トップページ | 七五三に想う »

2006年11月 3日 (金)

職業選択の自由

いよいよ、高校卒業後の進路を具体的に決めなければならない時期になりました。

先日来、高校の必修科目履修漏れ騒動のニュースで「センター試験まであと3ヶ月しかないこの時期に云々・・・」というコメントを耳にして、うーじんの目つきがちょっと変わったのをお父さんは見逃しませんでした。

こういうときに突っ込んだ話をするのがよいと思ったのでしょう。

父・・「うーじん、真剣なハナシ、第一志望はどこ?」

う・・「まだわからん・・いっつもうざいなぁ」(後半部分は思い切りボリュームしぼって・・)

お父さんとしては、この子が国公立か私立か、家から通えるか下宿かが自分の老後の金銭的な計画に大きく影響するもんだから、早く方針を決めて欲しいのです。

そのため、コトあるごとに進路の話を持ち出してはうるさがられています。

実は、うーじんはまだ小学校のころから『集○社のセ○ンティーンの編集者になる』という夢を持ち、小学校でも中学校でも卒業文集にそう公言してはばかりませんでした。

母・・「セ○ンティーンの編集者ってどんな仕事するのか知ってる?」

う・・「うん、モデルさんの衣装とか、流行の小物とかを街で見つけ        てくる仕事」

母・・「なれたらいいねぇ・・(笑)」

小さいときはそれでもよかったのですが、最近ではそこへ『テレビ局の仕事』というのが加わり、こりゃ実際にどんなものかを知りもしないで、やりたいもへったくれもないやろ!ということになり、この夏甥の勤める東京のテレビ局を見学させてもらいました。

甥は『人気番組の収録を見せてあげる』と言ってくれましたが、わたしたちの上京の趣旨を伝え、裏方さんの様子も見せて欲しいと頼んでおいたのです。

スタジオで番組収録を見た後、局内を案内してもらいました。

すでに日付は変わっていましたが、不夜城のような局内では、たくさんの人がうろうろしていて、コンビニでカップラーメンをすする人あり、ベンチで寝ている人あり、もちろんまともな食事を摂っている風でもなく、お風呂にも入っていない様子の人たちばかりです。

甥は久しぶりに会ったうーじんに

「僕は、これくらいの年で親元を離れて20年・・以来ひとりでやってきたのか・・」

と感慨深げでした。

「本気でこういう仕事がやりたいのなら、大学から東京に出て来い」

と言われ、うーじんはうんともイヤとも言いませんでした。

世の中には夢だった仕事に就いている人なんて数えるほどしかいないし、よしんば夢が実現しても、果たしてそれは本当にやりたい仕事だったのかと悩んでいる人をたくさん知っている、本当にやりたいのなら応援してやるけど、かなりの覚悟が必要だ・・・お父さんの言葉にも珍しく逆らいませんでした。

以来、出版社もテレビ局も選択肢から外れたようです。

明日の模試では、志望校欄にとっても現実的な学部を記入するらしいです。

Dvc80017 ←こんな大都会で、うーじんのようなチャラ子が無事に生きていけるとは到底思えない。

でももしここに住むことになったら、母はしょっちゅう遊びに行くことでしょう。

(六本木ヒルズから)

|

« 今でも怖いもの知らず | トップページ | 七五三に想う »

コメント

おはようございます。
うーじんちゃんは、ちゃんと現実を考えておるのだと
私には思え、遠い目になりましたわ。
・・というのも、私、大学進学のことで、
当時会社の人事部長していた父の「現実的な説教」に反発し、大喧嘩の挙句、大学には行かなかったクチだからです。

で、デザイン学校に行き、2年で卒業、専攻は大ブーム一歩手前のアニメーション科でした。
その後、所謂アルバイトを経て(プロの人の手伝い)その道で一人、よろよろと10年余。身体壊したのと、自分には才能ないなあ、と気持ちが挫折したことでその仕事から足を洗い、世間的な一般人としての修行をしたのはそのあとのことなんですわ。(ちょっと特殊な業界で、人格歪んでた???あはは。)今は、いちおう堅気。笑。

うちの親はよくこんな私の行く道を許してくれたものだと、今にして思いますわ。こういうことって年取らないと考える余裕なんて無いもんなんですよね。
きっといろいろ諦めににた思いを味わって、時には悩んだんだろうなあ、と、人並みに申し訳ない思いでおります。

うーじんちゃんはこれからですね。
ちょっとおばちゃんは羨ましい。^^

投稿: miyuki | 2006年11月 4日 (土) 09時23分

miyukiさん・・・
たった今、この母はな~んとなく気がついたんです、この子の未来をとっても狭めていることに。
>「現実的な説教」に反発し・・・
ホネのあるmiyuki少女は自分で自分の道を拓いて行かれたんですね。
うーじんにはね、親に反発してでも進みたい道があるわけでもなく、そこらへんが親をいらいらさせるんですわ。
つまるところ甘ったれ、ハングリーじゃないんだと思います。切羽詰ってなくて、なんとなく行けそうな道に行こうか・・くらいな気持ちで世の中を見ているようです。
そこには、「全部自分で決めたらあとには引けない、ちょっと親にも責任を転嫁しておこう」的な打算もあるに違いないんです。
はっきり言ってこの子には好きなことをさせてやってもいいと思っているのに、結構羽ばたけない肝っ玉の小さい子なんですわ。

投稿: れいち | 2006年11月 4日 (土) 18時00分

いやあ、お恥ずかしい。
ホネがあった、とゆうより
見境の無い「意地っ張り」ですわな。
打算したくても、
馬鹿だから出来なかった、のかも。
がっくし。

どっちが良いとも言えないような気がしますが、
「好きなことをさせてやってもいいと思っている」
ブラボーです。れいちさん。

親の心子知らず、なんですな、いつの時代も。

投稿: miyuki | 2006年11月 4日 (土) 19時00分

>親の心子知らず、なんですな、いつの時代も。

子を持って知る親の恩
親孝行したいときには親はなし

昔の人はうまいこと言ったもんですな。

投稿: れいち | 2006年11月 4日 (土) 19時22分

我は高校の頃から「映画関連の仕事に就きたい!」
そう強く思っていたので、大阪の映画専門学校の願書まで取り寄せたのに
親には、取り合えず短大を出て、それから専門学校の事は考えなさい!…と。
んが、短大卒業する頃には、不思議と皆と同じように就職活動して
普通の会社でOL生活してましたワ~。

その会社を辞め、再就職する際も当然のように事務職希望で…、
んで、何社か受けた中に、地元の某TV局があって、
そこの面接官が我の学生時代を知っていたらしく、
「事務員じゃなく、製作をやってみないか?」と!
事務員より競争率高いお仕事を頂けるなんてーーー!!!
でも、自分でも意外なくらい冷静に「事務職でお願いします」と答えてたのよネ…。
これが高校卒業する頃なら、大喜びしてたんでしょうが、
大人になると現実的になっちゃうのが悲しいっす。

もう我には当たって砕けてる余裕がないので(汗)
うーじんちゃんみたいに、夢多き10代が羨ましいワ~^^
もしも、我がれいちさんの娘だったら(エ、こんな老けた娘いらんってか?笑)
きっと短大には行かず、映画専門学校に進学してたかも~^^

…ちなみに、某TV局の方は、事務員さんとしては我では力不足で
雇って貰えませんでしたーーー泣

投稿: pianon | 2006年11月 4日 (土) 22時34分

miyukiさん、pianonさん、若かりし頃のエピソードを暴露してくださってありがとうございます。
みなさんけっこう体当たり的人生歩んでこられたんですね。
わたしの就職時のネックはオイルショックでした。
あれで進路を狂わされた人、けっこういます。
未だにトイレットペーパーは買いだめする癖が抜けない、人生最大かつ強烈なトラウマです。

いっそ、このブログをうーじんに見せてやりたいですわ。
姉の方がなんでもスムーズにいったので、高校受験からはらはらさせられどおしのうーじんにはついつい余計な心配をしてしまいます。

P子さん、某TV局って・・(汗)そちらにはTV局いくつもあるの?
そのとき製作のお仕事していたらまた違う人生、例えば・・・
外国でカメラマンが突然倒れるのを目の当たりにしたとき、違うリアクションがあったかも・・ね(笑)!!

投稿: れいち | 2006年11月 5日 (日) 03時03分

アンニョン^^うーちゃんは・もう・うーちゃんの人生を生きています。
ソレが・茨のみちであろうが、なんであろうが・・・
この混沌とした時代にそうそう楽な生き方なんぞありゃせんでしょう・・・だからこそ・自分で決めさせる方が、良いと私は、息子の進路を決める時に思いました。
自分で決めて歩き出した道なら・引き返すべき時も・辛抱すべき時も・自分で判断しますよ!
親は・・・相談された時に・向き合い・聞いてやり・意見を伝える・・・そして、時として、何気ない会話の中で、伝えておくべき事を耳にいれてやる・・・それでいいのでは?
言い聞かせる年齢はすぎているのではないでしょうか?見守る姿勢でいたらどうでしょうか?
自分で考え・自分で決めて・自分で行動をおこす・・・うーちゃんは、それだけ・夢を持つ事ができるんだから・・・考えている証拠ではないでしょうか?そして・よい経験をさせてあげたじゃないですか~!夢と現実のギャップを見せたじゃないですか^^コレは・大きかったと思いますよ!!ナイスです!!
これからは・立ち止まり・現実を見据えねば・・と・知ったと思いますよ^^
私は、中高と私立に行き・付属に四大と短大が有りましたが、行きたくない!父は四大じゃなければ学費は払わないと言い・父の親戚達や・友人まで電話で説教・説得の日々;;我家は父がワンマンで・・・絶対的な権力を持つ家庭で・皆が父の言いなりで、生きていましたが・・・その時がこれまでの人生でも後にも先にも1度だけの抵抗でした。最後は担任に暗くなるまで職員室で「折角6年も通って・付属があるんだから、ご両親も期待なさってるだろう」と説得され・・・そこに救世主出現!学長が・残っていた・・・話を聞いた学長が「先生!あなたは何を言ってるんですか?この子の人生ですよ!この子は、自分で自分の道を切り開いていける子ですよ!自分で決めさせなさい!!」涙が出るほど嬉しかった・・・。
勉強は全く興味が無く・出来なかったが「あなたの笑顔は100万ドルの笑顔ですね^^」と・いつも言って可愛がってくれてた学長・・・。(教育の世界では、非常に功績がある方なのですよ)
イマダニ・自分の決めた道を歩いてきたのだから・・・・と・辛くても・苦しくても・這い上がれない程の逆境にあっても・人のせいにはしなかったし・後悔もしなかった。
あの時の学長の言葉が・私の人生の道しるべです。

親だからこそ、必ずぶつかる壁ですね^^
可愛い子には旅をさせろ・・・昔の人は・どんな育て方をしていたのでしょうね・・・・・
何時の世も同じかもしれませんね・・・・。

投稿: GIRUKO | 2006年11月 6日 (月) 02時22分

GIRUKOさん、コメントありがとうございます。
普段絵文字だらけのぶっとびママなのに、息子BOYの前ではひとりの“母”なんですね。しかも強い母。当たり前と言えばそうなんでしょうけど、貴女のそんな一面を見てちょっとうるっとしてしまいました。

このレビュー書くとき思ったんですけど、東京へ行っていわゆるギョーカイの中を垣間見て、うーじんだけでなく親のほうも頭にゲンコツもらったような気分になったんです。
甥から
「なんの人脈もない都会でひとりで一から築き上げてきた大変さ」
を聞くにつけ、華やかな舞台の裏側が容易に想像できて、並々ならぬ努力をしたと言う甥に拍手を送りたいと思いました。
「うーじん、やりたければ東京でも外国でもひとりでやってみれば?」
と思っていたけどそんな生易しいものじゃないことを実感し、おまけにうーじんの度量を過大評価していたと思います、この親は・・。

ブログって・・・始める前は、こんなに身内のことを暴露することになろうとは思ってもみなかったのに、みなさんのコメントに後押しされて、わたし自身の心の扉がどんどん開かれていくようです。
かなり恥ずかしいけど、こちらが心を開くとそれに応えてくださる方が必ずいるもんだと、コメントくださる方々に感謝しています。

GIRUKOさん、貴重なご意見ありがとうございました。
鼻ちょうちんで惰眠をむさぼるうーじんが可愛く見えてきました。
もうちょっとこの子を信じてあげようと思いました。

投稿: れいち | 2006年11月 6日 (月) 17時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 職業選択の自由:

« 今でも怖いもの知らず | トップページ | 七五三に想う »